国際研究集会2012 大学における外国語教育の目的:『ヨーロッパ言語共通参照枠』から考える(予稿集)

国際研究集会2012
大学における外国語教育の目的:『ヨーロッパ言語共通参照枠』から考える

日程:2012 年3 月13 日
場所:京都大学人間・環境学研究科地下講義室
会費:500 円(資料,フランス語同時通訳イヤホン代)

この国際研究集会は,日本学術振興会科学研究費補助金(課題番号:20401024)「アジア・ヨーロッ
パにおける移住者と受け入れ住民の共通言語教育研究の構築」(代表:松岡洋子)ならびに日本学術振興会科学研究費補助金(課題番号:23242039)「新しい言語教育観に基づいた複数の外国語教育で使用できる共通言語教育枠の総合研究」(代表:西山教行)の研究成果報告として実施します。
後援・共催:在日フランス大使館,在京都フランス総領事館,関西日仏学館,日本フランス語教育学会

協力:堀晋也, Jean-François Graziani,酒井志延

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目次
プログラム p. 2
開催趣旨 p. 6
シンポジウム1問題提起 p. 7
シンポジウム2問題提起 p. 9
講演及び発表の要約 p. 17
ジャン=クロード・ベアコ p.18 ミシェル・カンドリエ p. 20
江利川 春雄 p. 21 ジル・フォルロ p. 24
藤原三枝子 p. 24 バリー・ジョーンズ p. 30
ピエール・マルチネス p. 36 高梨
庸雄 p. 38
鳥飼 玖美子 p. 40 山崎直樹 p. 42
参考資料 p. 45
Table des matières
Programme p. 3
Thème du colloque p. 11
Problématique de la table ronde 1 p. 12
Problématique de la table ronde 2 p. 14
Résumés des conférences et interventions p. 17
BEACCO Jean-Claude p. 17 CANDELIER Michel p. 19
ERIKAWA Haruo p. 22 FORLOT Gilles p. 23
FUJIWARA Mieko p. 25 JONES Barry p. 26
MARTINEZ Pierre p. 35 TAKANASHI Tsuneo p. 39
TORIKAI Kumiko p. 41 YAMAZAKI Naoki p. 43
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プログラム
日仏同時通訳付き
9 : 00 受付
9 : 30 - 9 : 45
開会挨拶と趣旨説明
西山教行(京都大学
ヒィリップ・ジャンヴィエ=カミヤマ(フランス総領事)
9 : 45 - 10 : 30
講演1
ジャン=クロード・ベアコ(パリ第3 大学)
『ヨーロッパ言語共通参照枠』から『複言語・異文化間教育のためのリソースと参照のプラットフォーム』:複言語・異文化間教育のツール
10 : 15 - 10 : 30
討論
指定討論者:細川英雄(早稲田大学
司会:西山教行(京都大学
10 : 30 - 10 : 45 休憩(15 分)
10:45 - 13:00
シンポジウム1:『ヨーロッパ言語共通参照枠』から考える言語教育の目的
10 : 45 - 12 : 30
発表
パネリスト
ミシェル・カンドリエ(メーヌ大学)
「『ヨーロッパ言語参照枠』から『多元的アプローチのための参照枠』へ:継承と凌駕」
山崎直樹関西大学、中国語)
「『外国語学習のめやす2012―高等学校の中国語・韓国語教育からの提言―』とは何か?」
ピエール・マルチネス(ソウル国立大学)
「実存能力と適応能力:言語学習の新たな地平」
藤原三枝子(甲南大学、ドイツ語)
「学習者はドイツ語を学ぶことの意味をどこに求めているのか?」
12 : 30 - 13 : 00
討論
指定討論者:森住
衛(桜美林大学、英語)
吉村雅仁(奈良教育大学、英語)
司会:塚原信行(京都大学スペイン語
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Programme
Toutes les séances sont présentées avec une traduction simultanée
en français et en japonais
9 : 00 Accueil des participants
9 : 30 - 9 : 45 Allocution d'ouverture et Rappel des problématiques
NISHIYAMA Noriyuki (Université de Kyoto)
Philippe JANVIER-KAMIYAMA (Consul Général de France)
9 : 45 - 10 : 30
Conférence 1
Jean-Claude BEACCO (Université de Paris III)
Du Cadre à la Plate-forme, Des instruments pour l’éducation
plurilingue et interculturelle
10 : 15 - 10 : 30 Débat
Discutant : HOSOKAWA Hideo (Université Waseda, japonais)
Modérateur : NISHIYAMA Noriyuki (Université de Kyoto)
10 : 30 - 10 : 45
Pause café (15 min.)
10:45 - 13:00
Table ronde 1:
Les objectifs de l’enseignement des langues : réfléchir du point de vue
du CECR
10 : 45 - 12 : 30 Intervention
Intervenants :
Michel CANDELIER (Université du Maine)
« Du CECR au CARAP (Cadre de Référence pour les Approches plurielles des
Langues et des Cultures) : prolongement et dépassement »
YAMAZAKI Naoki (Université Kansai, chinois),
« Le but de l’apprentissage des langues étrangères en 2012 –Quelles sont les
propositions pour l’enseignement du chinois et du coréen au lycée ? »
Pierre MARTINEZ (Université nationale de Séoul)
« Savoir-être et savoir-devenir : nouveaux horizons d'attente pour l'apprentissage
des langues »
FUJIWARA Mieko (Université Konan, allemand)
« Quelles raisons ont les apprenants d’apprendre l’allemand ? »
12 : 30-13 : 00 Débat
Discutants :
MORIZUMI Mamoru (Université Obirin, anglais),
YOSHIMURA Masahito (Université de Nara pour l’éducation)
Modérateur : TSUKAHARA Nobuyuki (Université de Kyoto, espagnol)
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13:00 - 14:00
昼食
14:00 - 14:45
講演2
鳥飼玖美子(立教大学、英語)
「日本の英語教育の目的は何か」
14 : 30 - 14 : 45
討論
指定討論者:ジャン=クロード・ベアコ
(パリ第三大学)
司会:酒井志延(千葉商科大学、英語)
14:45 - 15:15
休憩(30 分)
15:15 - 17:30
シンポジウム2:『ヨーロッパ言語共通参照枠』から英語教育の目的を考える
15 : 15 - 16 : 45 発表
パネリスト
高梨庸雄(弘前大学、英語)
「学習者の主体性を重視したカリキュラムを」
バリー・ジョーンズ(ケンブリッジ大学、英語)
「英語学習プログラムにおける多様な目的:言語能力,言語的および文化的気づき,学び方,そして複言語能力の開発」
ジル・フォルロ(ピカルディ大学、英語)
「『参照枠』における英語と『参照枠』にとっての英語:言語教育・学習の複合的で多元的な実践をめざして」
江利川春雄(和歌山大学、英語)
「平和,民主主義,民族連帯のための英語教育を」
16 : 45 - 17 : 30 討論
指定討論者:大谷泰照(大阪大学、英語)
寺内一(高千穂大学、英語)
司会:大木充(京都大学、フランス語)
17 : 30 閉会挨拶
18 : 30 懇親会
於:在京都フランス総領事館・関西日仏学館
(3 月7 日までに要予約)

リンク
研究集会の行われる場所:
http://www.kyoto-u.ac.jp/en/access/campus/yoshida_all.htm
http://www.kyoto-u.ac.jp/en/access/campus/y_south.htm
この研究集会は、人環棟 Graduate school of Human and Environmental Studies Bldgで行われます。
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13:00 - 14:00 Déjeuner libre
14:00 - 14:45
Conférence 2
TORIKAI Kumiko (Université Rikkyo, anglais)
Quel est l’objectif de l’enseignement de l’anglais au Japon ?
14 : 30 - 14 : 45 Débat
Discutant : Jean-Claude BEACCO (Université de Paris III)
Modérateur : SAKAI Shien (Université de commerce de Chiba, anglais)
14:45 - 15:15 Pause café (30 min.)
15:15 - 17:30
Table ronde 2:
Réfléchir sur les objectifs de l’enseignement de l’anglais du point de
vue du CECR
15 : 15 - 16 : 45 Intervention
Intervenants :
TAKANASHI Tsuneo (Université d’Hirosaki, anglais)
« Vers un programme qui accorde de l’importance à l’initiative de l’apprenant »
Barry JONES (Université de Cambrige, anglais)
« Diversifying aims within an English learning programme: developing linguistic performance, linguistic and cultural awareness, learning how to learn, and plurilingual competence »
Gilles FORLOT (Université de Picardie, anglais)
« L’anglais dans et pour le Cadre européen : vers des pratiques complexes et plurielles d’enseignement-apprentissage des langues »
ERIKAWA Haruo (Université de Wakayama, anglais)
« L’enseignement de l’anglais pour la paix, la démocratie et la solidarité nationale »
16 : 45 - 17 : 30 Débat
Discutants : OHTANI Yasuteru (Université d’Osaka, anglais),
TERAUCHI Hajime (Université Takachiho, anglais)
Modérateur : OHKI Mitsuru (Université de Kyoto, français)
17 : 30 Allocution de clôture
18 : 30
Soirée amicale au Consulat Général de France au Japon à Kyoto
(Tous les participants sont priés de s’inscrire à la soirée amicale avant le 7 mars.)
Liens lieu du colloque :
http://www.kyoto-u.ac.jp/en/access/campus/yoshida_all.htm
http://www.kyoto-u.ac.jp/en/access/campus/y_south.htm
Le colloque aura lieu au Graduate school of Human and Environmental Studies Bldg.
(JI-N-KAN-TO)
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国際研究集会2012
大学における外国語教育の目的:
『ヨーロッパ言語共通参照枠』から考える
開催趣旨
 日本の大学はこれまで外国語教育の発展に大きな貢献をもたらし,外国語教育は学問を育む力を支えてきた。ところが深化を続けるグローバル社会はこれまで以上に外国語に機能的・実用的価値を求め,英語あるいは中国語などを企業文化の道具に位置づけようとする。しかし言語は道具であると同時に,それだけではない。言語は人間の存立の根拠,アイデンティティでもある。
外国語教育の目的をこのような視点から深めていく上で,現在,ヨーロッパの言語教育を方向付けている『ヨーロッパ言語共通参照枠』は有益な指標を与えうる道具となる。
 この研究集会では,『ヨーロッパ言語共通参照枠』を補助線として活用し,英語教育および,それ以外の外国語教育に区別して,大学における外国語教育の目的を追求したい。グローバル社会に生きる大学が,外国語教育にどのような指針を持ちうるかを考えたい。(西山教行)
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問題提起
シンポジウム1:
『ヨーロッパ言語共通参照枠』から考える言語教育の目的
ここでは、『ヨーロッパ言語共通参照枠』(以下、『参照枠』とする)から言語教育の目的を考える前に一度立ち止まって考察しておくべきであろうことを提示し、その後の具体的議論への地ならしとしたい。

『参照枠』が持つ政治的含意の日本における理解
『参照枠』第一章では、その政治的・教育的背景が語られており、言語的・文化的な違いを含むヨーロッパという地域における市民レベルでのコミュニケーションを改善・促進するという目的を見て取ることができる。ところで、『参照枠』を策定した欧州評議会と超国家的統治体である欧州連合EU)は別組織ではあるものの、民主主義・法の支配・人権といった共通の基本的価値を掲げ、ともにヨーロッパの地域統合を推進している。言語について言えば、欧州評議会は1954年に「ヨーロッパ文化協定」を、1992年に「ヨーロッパ地域・少数言語憲章」をまとめており、それぞれの批准国は50と25
である(2012年2月末現在)。一方、EUという組織のあり方を規定する欧州憲法条約は、その第I-1条3項4段において「連合は、その豊かな文化的かつ言語的な多様性を尊重し、欧州の文化遺産保全と向上を確保するものとする」1 と定めており、「EUは、加盟国間の多様性を尊重しつつ各国・地域の文化が繁栄することに寄与する役目を負っている」2 。

ヨーロッパ地域の統合をめざす欧州評議会が、こうした文脈において『参照枠』を策定したということ、言い換えれば、『参照枠』の政治的含意は、『参照枠』から言語教育の目的を考えるうえでは明確に認識すべき点であろう。しかし、日本における『参照枠』の受容において、この点は十分に認識されているであろうか。『参照枠』日本語版の編訳者の一人である大橋は、「日本語版重版に当たって」において、「最近の風潮としてこのCEFRに書かれている例示的能力記述文にのみ関心が向いていることに対しては、大きな危惧を覚えざるを得ない」3 と述べている。また、西山は、日本における『参照枠』受容をおよそ3種類に類型化できるとし、第一を研究者による単なる紹介、第二を「共通参照レベル」の無批判的適応、第三を日本独自の「言語共通参照枠」作成であると述べている4。大橋の危惧表明からは3年あまり、西山の指摘から1年数ヶ月が経過したが、この間、こうした状況はどの程度変化してきたのだろうか。

問題提起1:『参照枠』における言語教育目的の政治的性格は日本において理解されているか。
問題提起2:されていないとすれば、その理由は何であるか。また、理解を促すために
有効な具体的取り組みはなにか。

『参照枠』の限界
『参照枠』から言語教育の目的を考えようとするなら、その限界や制約も踏まえておく必要があろう。この限界や制約は、1で述べたような政治的含意の帰結の一つでもある。
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『参照枠』を刊行した欧州評議会の加盟国は47であるが、機関公用語は英語とフラン
ス語のみである(欧州評議会憲章12条。閣僚委員会などでは他の言語も用いられる)。
一方、27の加盟国から構成されるEUは基本的に全加盟国の公用語を機関公用語として
おり、その数は23に達する。実体的統治体であるがゆえに、欧州評議会よりもより多く
の制約を抱えるはずのEUのほうが、言語的多様性の制度的尊重という観点からはより
進んでいるように見えることは、少々皮肉である。もちろん、『参照枠』は、EUのよ
うな制度的「多言語主義」ではなく、個人の言語経験に焦点を当てた「複言語主義」を
打ち出しているのだと切り返すことも可能であるが、「個人」を強調するあまりに、英
語とフランス語という大言語を解する者にのみ十全な制度的なコミュニケーションが
保障されているという欧州評議会の状況を、決して好ましいものではないと認識できな
くなっては本末転倒であろう。
また、『参照枠』が打ち出した「複言語主義」は、国家語のみならず少数言語もその
対象として含めるだけの潜在力を持つが、どういうわけか手話は対象とされていない。
『参照枠』には「手話の専門家はCEFRの概念とカテゴリーの多くが、彼らにも関連が
あると思うかもしれないが、手話自体は現在CEFRの研究の範囲外にある」という記述
があるのみである5。
以上のような点は、『参照枠』、とりわけその「複言語主義」の本質的価値を損なう
ものではないが、現時点での限界をうかがわせるものとは言えるかもしれない。
問題提起3:『参照枠』の限界をこえて、「複言語主義」をより発展させるためには、
具体的にどのような取り組みが必要か。
問題提起4:「複言語主義」と「多言語主義」の関係は、どう整理することができるか。
また、理念的な側面だけでなく実践的な面において、二者はどのような関
係であるべきか。
注.
1. 翻訳は以下によった。
衆議院憲法調査会事務局 (2004)『衆憲資第56 号(委託調査報告書)
欧州憲法条約 −解説
および翻訳−』
これは以下のURI から入手可能である(最終アクセス2012 年2 月23 日)
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/shukenshi056.pdf/$File/shukenshi056.pdf
2. 庄司克宏 (2007)『欧州連合
統治の論理のゆくえ』岩波新書、82ページ
3. 吉島茂・大橋理枝 他(訳編)(2008)『外国語教育 II
−外国語の学習、教授、評価のための
ヨーロッパ共通参照枠−』xiiiページ
4. 西山教行 (2010)「序
複言語・複文化主義の受容と展望」細川英雄・西山教行(編)『リテ
ラシーズ叢書1
複言語・複文化主義とは何か
−ヨーロッパの理念・状況から日本にお
ける受容・文脈化へ−』くろしお出版、viiページ
5. 吉島茂・大橋理枝 他(訳編)(2008) 前掲書、94ページ
(塚原信行)
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シンポジウム2
『ヨーロッパ言語共通参照枠』から英語教育の目的を考える

『参照枠』における外国語教育の目的
『参照枠』にも言語教育の目的は書いてあるが、『参照枠』を刊行した欧州評議会
閣僚委員会が作成し、加盟国に出した現代語に関する勧告1 では次のようになっている
1)
実用的な目的
国語学習は、国民の私的および職業上の交流と意見交換に役立つこと
2)異文化間的目的
国語学習は、ヨーロッパ国民のあいだで偏見をなくし、お互いの利益と寛
容の精神を育むのに貢献すること
3)社会政治的目的
国語学習は、お互いの豊かさの源として言語的、文化的多様性という豊か
な遺産を保護し、持続させるのに役立つこと
問題提起1:ヨーロッパの英語教育の現状はどうなのか。欧州評議会の勧告はどの程
度守られているのか。

英語教育と複言語主義
『参照枠』には、特に英語教育(学習)のみを取り上げて言及している箇所はない。
しかし、そのガイド2 ではかなりの紙幅が割かれている。このことから、多言語政策を
推進しようとしているEU圏でも、英語が特殊なものであることがわかる。『参照枠』
を刊行した欧州評議会の言語政策の中心人物である Beacco と Byram は、教育言語政
策の多様化を論じるときには、ヨーロッパにおける英語教育(学習)の役割の問題に取
り組むことが不可欠であると述べている。(Neuner 2002, Truchot 2002, Breidbach 20033
の前書き)その問題は、一言でいえば、社会で必要とされている英語学習と複言語教育
推進との相克、現実と理想のギャップである。複言語教育を推進しているEU圏でも、
英語はコミュニケーションの道具としてだけでなく、文化的にも強い影響力を持ってい
て、他の言語を学ぶことは無駄なことと思われるようになっているのが現実だ。このよ
うに、英語教育(学習)は他の言語を駆逐してしまう危険性をはらんでいるが、一方に
おいて、英語を第一外国語(最初に学ぶ外国語)として学習することには、利点もある。
ヨーロッパの他の言語と英語との類似性ゆえに、まず学習に比較的時間がかからず、よ
り多くの時間を第二外国語(二番目に学ぶ外国語)の学習にさくことができる。また、
英語を第一外国語として学習すれば、後の外国語の学習が容易になるという利点もある。
(Neuner 2002, 9-11) このように、ヨーロッパでは、英語の学習が他の外国語の学習、複
言語教育に役立つ側面もある。
以上は、EU欧州連合)という政治的連合が存在し、英語と同じ系統に属する言語
が使われているヨーロッパだから言えること。はたして日本ではどうなのか。
問題提起2:そもそも英語を第一外国語として学ぶ必要があるのか。
問題提起3:学ぶ必要があるとしても、ヨーロッパ人と比べて習得に膨大な時間のか
かる英語を、実用目的で、しかも使えるレベルまで養成する必要がある
のか。
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日本の英語教育の目的
世界銀行のデータ「世界開発指標」(2009年度)から、日本は内需大国であり、輸出
大国の韓国などと比べてビジネス分野での外国語の使える人材の必要度が極端に低い
ことがわかる。さらに、韓国との人口比を考慮すれば、日本で英語を必要とするビジネ
スマンはごく限られているはずである。また,2008年の厚労省の調査では,「新規大卒
者採用時の重視項目」の中で「語学力・国際感覚」は1%しか占めていない。一方にお
いて、日本企業の国際競争力の弱体化は、たとえば韓国企業と比べてその技術力の低下
が主な原因であるにもかかわらず、英語力の強化に救いを求めているようにも思われる。
そして、英語教育の必要性がますます声高に叫ばれている。
問題提起4:実際に実用目的で英語を学ぶ必要がある学生数はどれぐらいなのか。

複言語主義教育
Guide (2003) と Candelier (2005) 4 によると『参照枠』の複言語主義には2つの側面が
ある。「能力」としての側面と「価値」としての側面である。「能力」としての複言語
主義の目的は、複数の言語を使う能力を養成して、話し手の「言語レパートリー」を増
やすことである(「複言語養成」)。それに対して、「価値」としての複言語主義の目
的は、言語的に寛容になること、すなわち言語の多様性を肯定的に受けいれることの価
値に気づかせることである(「複言語主義教育」)。この複言語の価値の側面を気づか
せるには、説明する必要があり、けっして自然になされるようなものではない。
問題提起5:日本の英語教育・学習は運用能力の養成に偏っているのではないか。
問題提起6:そもそも日本の英語教師(学習者)は、英語教育(学習)の目的を自明
のこととしていないか。自分の頭で考えたことがあるのか。
21世の世界は、一極化から、多極化、さらに無極化しようとしている。そのような世
界における日本の英語教育の目的ははたしてどうあるべきか。
注. いかの文献はすべてインターネットで、また4を除いて英語版も入手できる。
1. Conseil de l’Europe (1998) (Comité des ministres du Conseil de l'Europe : Recommandation No R (98)
6) (1998) . 本文中の引用は、Neuner (2002) を訳したものである。
2. Conseil de l’Europe (2002) Un cadre européen commun de référence pour les langues : apprendre,
enseigner, évaluer Guide pour les utilisateurs.
Conseil de l’Europe (2007) De la diversité linguistique à l’éducation plurilingue : guide pour
l’élaboration des politiques linguistiques éducatives en Europe version intégral.
3. Neuner, G. (2002) Les politiques à adopter à l'égard de l'anglais, Conseil de l'Europe.
Truchot, C. (2002) L'anglais en Europe : repères, Conseil de l'Europe.
Breidbach, S. (2003) Le plurilinguisme, la citoyenneté démocratique en Europe et le rôle de l'anglais,
Conseil de l'Europe.
4. Conseil de l’Europe (2003), Guide pour l’élaboration des politiuqes linguistiques éducatives en
Europe :de la diversité linguistique à l’éducation plurilingue (version intégrale).
Candelier, M. (2005) Eveil aux langues : une innovation au service du plurilinguisme. p. 5.
(大木
充)
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Pré-actes du Colloque International 2012
Les objectifs de l’enseignement des langues étrangères
à l’université : réfléchir du point de vue du CECR
Présentation générale
Thème du colloque :
Les universités japonaises ont grandement contribué au développement de
l’enseignement des langues étrangères jusqu’à présent, et celui-ci soutenait en retour un
mouvement constant de développement de la science. Mais dans une société de plus en
plus mondialisée, on demande une valeur fonctionnelle ou pratique aux langues
étrangères, et on essaie le plus souvent de donner à l’anglais ou au chinois un rôle
d’outil (de communication et de production) dans la culture économique contemporaine.
Certes, la langue peut avoir cette fonction instrumentale mais on ne saurait la réduire à
cela. Elle est aussi l’une des raisons d’être des sociétés humaines et des individus qui les
composent ou, pour le dire autrement, un des fondements de leur identité.
Lorsqu’on approfondit les objectifs de l’enseignement des langues étrangères de ce
point de vue, le CECR (Cadre européen commun de référence pour les langues), qui
oriente l’enseignement des langues en Europe aujourd’hui, apparaît comme une source
de renseignements précieux.
Lors de ce colloque, nous souhaitons avant tout nous interroger sur les objectifs de
l’enseignement des langues étrangères (à propos duquel il convient de distinguer
l’anglais et les autres langues) en utilisant le CECR comme ligne auxiliaire, et puis,
réfléchir aux orientation que les différentes universités entendent donner à
l’enseignement des langues étrangères au sein d’une société désormais mondiale.
(NISHIYAMA Noriyuki)
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Problématique de la table ronde 1 :
Les objectifs de l’enseignement des langues : réfléchir du point de vue du CECR
Avant de réfléchir sur les objectifs de l’enseignement des langues du point de vue du
CECR, nous voudrions, ici, préparer le terrain pour les discussions suivantes en examinant ce
qu’on a besoin de considérer au préalable.
1. Compréhension des implications politiques du CECR au Japon
Dans le premier chapitre du CECR, on parle de son contexte politique et éducatif, et on
trouve comme objectif l’amélioration et le soutien à la communication au niveau du citoyen
dans une Europe diverse sur le plan linguistique et culturel. Or, le Conseil de l’Europe qui a
développé le CECR et l’Union européenne qui est l’organe d’un gouvernement supranational
sont des organisations différentes, mais ils partagent certaines valeurs fondamentales, à savoir la
démocratie, le contrôle par la loi et les droits de l’homme, et poussent à l’intégration régionale
de l’Europe. À propos de la langue, le Conseil de l’Europe a permis d’établir la Convention
culturelle européenne en 1954 et la Charte européenne des langues régionales ou minoritaires en
1992. À l’heure actuelle (fin février 2012), 50 pays ont ratifié la première et 25 pays ont ratifié
la seconde. D’un autre côté, le Traité établissant une constitution pour l’Europe qui règle ce que
doit être l’Union européenne, dans la première partie, titre 1 (Définition et objectifs de l’Union),
article 3 (Les objectifs de l’Union), colonne 4, indique que « L'Union respecte la richesse de sa
diversité culturelle et linguistique, et veille à la sauvegarde et au développement du patrimoine
culturel européen » 1, et que « l’Union européenne s’efforce de défendre et de favoriser la
diversité culturelle de chaque pays et de chaque région » 2 . Le Conseil de l’Europe a développé
le CECR dans un contexte visant à l’intégration des régions européennes, c’est un aspect du
CECR que l’on doit toujours garder à l’esprit. Au Japon, dans la réception du CECR, ce point
est-il bien compris ?
Madame Ohashi, qui est l’un des rédacteurs et traducteurs de la version japonaise du
CECR, écrit dans la préface qu’elle ne peut pas s’empêcher de craindre que les futurs lecteurs
ne fassent attention qu’aux descripteurs et aux niveaux de compétences3. Monsieur Nishiyama
souligne qu’on peut répartir la réception du CECR au Japon en trois classes : (1) la présentation
simple par les chercheurs, (2) l’adaptation sans critique des niveaux de référence communs, (3)
le développement d’un cadre commun de référence pour les langues propre au Japon4. Trois ans
après la préface de Ohashi et plus d’un an après l’intervention de Nishiyama, dans quelle
mesure la situation a-t-elle changé ?
Question 1 :
Le caractère politique des objectifs pour l’enseignement des langues formulés dans le
CECR est-il compris au Japon ?
Question 2 :
Si non, pourquoi ? Et, quelles peuvent être les applications pratiques du CECR au
Japon ?
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2. Limites du CECR
Pour réfléchir sur les objectifs de l’enseignement des langues du point de vue du CECR, on
a besoin de considérer ses limites et ses restrictions. Ces limites et /ou restrictions découlent
également des implications politiques mentionnées ci-dessus.
Bien que le nombre des pays membres du Conseil de l’Europe soit de 47, l’anglais et le
français sont les seules langues officielles de l’organisation (voir article 12 de la charte du
Conseil de l’Europe. Les autres langues sont utilisées dans le Comité des ministres, entre
autres.)
D’un autre côté, dans l’Union européenne constituée de 27 pays membres, toutes les
langues officielles (23 langues) de ces pays sont aussi celles de l’organisation. C’est un peu
ironique que l’Union européenne, plus limitée sur beaucoup de points, soit plus avancée que le
Conseil de l’Europe en ce qui concerne le respect institutionnel de la diversité langagière. On
pourrait certainement faire remarquer que le CECR s’intéresse au plurilinguisme des individus
et non pas au multilinguisme institutionnel de l’Union européenne. Ce serait mettre la charrue
avant les boeufs que de critiquer la situation du Conseil de l’Europe, l’anglais et/ou le français
restant des outils très efficaces pour la communication institutionnelle.
Par ailleurs, le plurilinguisme du CECR est capable d’inclure à la fois des langues
nationales et minoritaires, mais considère, sans que l’on sache pourquoi, que la langue des
signes n’entre pas dans le domaine de ses attributions. Il est seulement indiqué que la
communication paralinguistique propre à la langue des signes est distincte des approches
envisagées dans le Cadre de référence, même si les spécialistes peuvent y trouver des notions et
des catégories pertinentes pour ce domaine 5.
Ces différents points ne remettent pas en cause la valeur du CECR, en particulier tout ce
qui touche à la promotion du plurilinguisme, mais en soulignent simplement les limites dans sa
forme actuelle.
Question 3 :
Pour dépasser les limites du CECR et favoriser le développement du plurilinguisme,
que peut-on faire ?
Question 4 :
Comment peut-on articuler le rapport entre « le plurilinguisme » et « le
multilinguisme » ? Dans quelle mesure doit-on associer l’un et l’autre non seulement
sur le plan théorique mais aussi dans la pratique ?
Note.
1. LA CONVENTION EUROPÉENNE (2003)
http://european-convention.eu.int/docs/treaty/cv00850.fr03.pdf
2. 庄司克宏 (2007)『欧州連合
統治の論理のゆくえ』岩波新書 pp.82
3. 吉島茂・大橋理枝 他(訳編)(2008)『外国語教育 II
−外国語の学習、教授、評価のための
ヨーロッパ共通参照枠−』pp. xiii
4. 西山教行 (2010)「序
複言語・複文化主義の受容と展望」細川英雄・西山教行(編)『リテ
ラシーズ叢書1
複言語・複文化主義とは何か
−ヨーロッパの理念・状況から日本にお
ける受容・文脈化へ−』くろしお出版 pp. vii
5. 吉島茂・大橋理枝 他(訳編)(2008) op.cit. pp.94
(TSUKAHARA Nobuyuki)
14
Problématique de la table ronde 2 :
Réfléchir sur les objectifs de l’enseignement de l’anglais du point de vue du CECR
1. Les objectifs de l’enseignement d’une langue étrangère dans le CECR
Certes, les objectifs de l’enseignement des langues sont inscrits dans le CECR, mais la
Recommandation concernant les langues vivantes1 établie par la Comité des Ministres du
Conseil de l'Europe, qui a publié le CECR, et présentée aux pays membres, en fait mention de la
manière suivante :
(1) Un objectif pragmatique :
L’apprentissage des langues étrangères sert à faciliter la mobilité personnelle et
professionnelle des citoyens et l’échange des idées ;
(2) Un objectif interculturel :
L’apprentissage des langues étrangères contribue à vaincre les préjugés et à
développer un intérêt mutuel ainsi que la tolérance entre les citoyens européens ;
(3) Un objectif socio-politique :
L’apprentissage des langues étrangères permet de protéger et d’entretenir le riche
héritage de diversité linguistique et culturelle qui est une source d’enrichissement
mutuel.
Question 1 :
Quelle est la situation actuelle de l’enseignement de l’anglais en Europe ?
Dans quelle mesure la Recommandation du Conseil de l'Europe est-elle suivie et mise
en oeuvre ?
2. L’enseignement de l’anglais et le plurilinguisme
Dans le CECR, il n’y a pas de partie dans laquelle il soit fait spécifiquement mention de
l’enseignement de l’anglais. Mais le Guide pour utilisateurs2 y consacre une place plus
importante. Ainsi, on voit que l’anglais joue un rôle particulier en Europe où l’on essaye
cependant de une politique multilingue. Beacco et Byram, deux références incontournables de la
politique linguistique au sein du Conseil de l’Europe, remarquent que dans le cadre d'une
discussion générale sur la diversification des politiques linguistiques éducatives, il a semblé
indispensable d'aborder explicitement la «question» du rôle de l'enseignement/apprentissage de
l'anglais en Europe (Neuner 2002, Truchot 2002, Breidbach 20033, préface). Ce problème est,
en un mot, un conflit entre l’apprentissage de l’anglais demandé par la société et la promotion
de l’enseignement plurilingue, c’est dire qu’il y a un fossé entre le réel et l’idéal. En Europe
aussi, où on favorise, au moins en théorie, le plurilinguisme, l’anglais est, en réalité, non
seulement un outil de communication, mais exerce aussi une puissante influence culturelle, au
point qu’il semble parfois inutile d’apprendre d’autres langues. Ainsi, l’enseignement
(l’apprentissage) de l’anglais risque de marginaliser les autres langues. Par ailleurs, certains
soulignent les avantages qu’il y a à l’apprendre comme première langue étrangère. D’abord,
grâce à sa similarité avec les autres langues européennes, l’apprentissage de l’anglais se fait plus
rapidement, donc on peut consacrer plus temps à l’apprentissage d’une deuxième langue
15
étrangère. De plus, si on apprend l’anglais comme première langue étrangère, on peut apprendre
les autres langues plus facilement (Neuner 2002, 9-11). Ainsi, en Europe, l’apprentissage de
l’anglais comprend des aspects qui peuvent favoriser le plurilinguisme. Mais cela est vrai pour
l’Europe où existe une forme d’union politique dans le cadre de l’Union européenne (EU), et où
on utilise des langues qui appartiennent à la même famille linguistique que l’anglais. Quels
enseignements peut-on en tirer pour la situation du Japon ?
Question 2 :
Est-ce qu’on a besoin d’apprendre l’anglais comme première langue étrangère ?
Question 3 :
Le cas échéant, est-il nécessaire d’apprendre l’anglais, apprentissage auquel les
Japonais doivent consacrer beaucoup plus temps que les Européens, dans un but
pragmatique et ce, jusqu’à un niveau de maîtrise courante de la langue ?
3. Les objectifs de l’enseignement de l’anglais au Japon
Selon le World Development Indicators 2009, qui regroupe les données présentées par la
Banque Mondiale, le Japon est un marché qui repose avant tout sur la demande interne, et la
nécessité d’avoir recours à une langue étrangère dans les affaires est moins grande qu’en Corée
qui dépend plus largement de la demande étrangère. En plus, proportionnellement à la
population de ces deux pays, il est normal que le nombre de businessmen japonais qui utilisent
fréquemment l’anglais soit très limité. Selon une enquête du ministère de la Santé, de l’Emploi
et de la Protection sociale en 2008, parmi « les points importants dans le recrutement », le point
« compétence linguistique / sensibilité internationale » représente 1% seulement de l’ensemble.
D’ailleurs, en dépit du fait que l’affaiblissement de la compétitivité internationale des
entreprises japonaises provienne, pour une bonne part, de la baisse des capacités techniques par
rapport aux entreprises coréennes par exemple, il semble que la seule solution envisagée soit le
renforcement de la compétence de l’anglais. Là aussi, c’est la nécessité de l’enseignement de
l’anglais qui est privilégiée.
Question 4 :
À l’heure actuelle, combien d’étudiants japonais ont-ils besoin d’apprendre l’anglais
dans un but pragmatique ?
4. L’éducation au plurilinguisme
Selon le Guide (2003) et Candelier (2005)4, le plurilinguisme du CECR a deux aspects : le
plurilinguisme comme compétence et comme valeur. Dans le premier cas, on cherche à valoriser
et à développer les répertoires linguistiques individuels des locuteurs (formation plurilingue).
Dans l’autre, il s’agit d’éduquer à la tolérance linguistique, c’est-à-dire, à sensibiliser à la valeur
des langues pour mieux accepter la diversité (éducation au plurilinguisme). Cela ne s’accomplit
jamais automatiquement et constitue un enseignement à part entière.
16
Question 5 :
L’enseignement / l’apprentissage de l’anglais au Japon est-il conditionné par une
approche exclusivement utilitaire de la langue ?
Question 6 :
L’enseignant(e) / l’apprenant(e) japonais(e) de l’anglais ne considère-t-il (elle) pas cet
enseignement / apprentissage de l’anglais comme une évidence ? Quel regard critique
peut-il (elle) porter sur celui-ci ?
Si monde du 21ème siècle est celui du passage de l’uni-polarisation à la multi-polarisation,
voire à la non-polarisation, quels doivent être les objectifs de l’enseignement de l’anglais au
Japon ?
Note : Les documents mentionnés ci-dessous sont tous disponibles sur Internet (en version
anglaise également, sauf le 4).
1. Conseil de l’Europe (1998) (Comité des ministres du Conseil de l'Europe : Recommandation No R (98)
6) (1998). Cité d’après Neuner (2002).
2. Conseil de l’Europe (2002), Un cadre européen commun de référence pour les langues : apprendre,
enseigner, évaluer. Guide pour les utilisateurs.
Conseil de l’Europe (2007), De la diversité linguistique à l’éducation plurilingue : guide pour
l’élaboration des politiques linguistiques éducatives en Europe (version intégrale).
3. Neuner, G. (2002), Les politiques à adopter à l'égard de l'anglais, Conseil de l'Europe.
Truchot, C. (2002), L'anglais en Europe : repères, Conseil de l'Europe.
Breidbach, S. (2003) Le plurilinguisme, la citoyenneté démocratique en Europe et le rôle de l'anglais,
Conseil de l'Europe.
4. Conseil de l’Europe (2003), Guide pour l’élaboration des politiuqes linguistiques éducatives en
Europe :de la diversité linguistique à l’éducation plurilingue (version intégrale).
Candelier, M. (2005), Éveil aux langues : une innovation au service du plurilinguisme. p. 5.
(OHKI Mitsuru)
17
講演及び発表の要約
Résumés des conférences et interventions
BEACCO Jean-Claude (ジャン=クロード・ベアコ)
Professeur de linguistique et de didactique des langues et des cultures Université Sorbonne nouvelle -
Paris III Conseiller de programme de la Division des politiques linguistiques, Conseil de l’Europe
Du Cadre à la Plate-forme, Des instruments pour l’éducation plurilingue et
interculturelle
Le Cadre européen commun de référence pour les langues. Apprendre, enseigner,
évaluer est un instrument trop connu et donc mal connu. Et il « cache » d’autres
instruments qui ont été élaborés depuis au Conseil de l’Europe On s’efforcera de les
présenter tous, sans tomber dans les banalités ordinaires et incorrectes dont ils sont
souvent l’objet.
Le Cadre a été élaboré pour constituer un modèle théorique central/global de
l’enseignement/apprentissage des langues. Il a l’ambition de fournir, en particulier ; une
terminologie commune et des point de repère pour identifier des « niveaux » de
compétence, à l’aide d’un ensemble de descripteurs (qui sont des définitions). Le Cadre
est surtout un instrument au service du plurilinguisme dans la mesure où il permet la
création de programmes modulaires, car sa finalité essentielle est de permettre la
réalisation de programmes d’enseignement souples et diversifiés.
Le Cadre s’est largement répandu dans la profession, mais cela a généré comme une
forme de plus petit commun usage de celui-ci (succès des niveaux, de l’approche
actionnelle de l’enseignement…).En fait, on « oublie » souvent la perspective
plurilingue ; on utilise « A1 », « A2 », « B1 »…comme des termes correspondant aux
traditionnels niveaux débutant, moyen, avancé. On entend aussi dire que le rôle du
Cadre est de justifier des certifications ou de certifier les compétences en langues ou
que son emploi est « obligatoire »… Toutes conceptions que ne correspondent
aucunement au projet éducatif du Cadre.
Ce que l’on s’est mis à « attendre » de ses utilisations a conduit à élaborer des
« instruments d’ancrage » comme les Descriptions de niveaux de référence du Cadre
pour les langues nationales et régionales (DNR) et, en particulier, les Niveaux de
référence pour le français (2004 : Niveau B2 ; 2005 Niveau A.1.1 ; 2006 : Niveau A ;
2008 : Niveau A2 ; 2011 :Niveau B1 ; Didier, Paris).
La perspective de l’éducation plurilingue et interculturelle, qui est au coeur du Cadre a
été ensuite développée « par le haut » par le Guide pour l’élaboration des politiques
linguistiques éducatives en Europe (2007) qui concerne toutes les langues enseignées
(et non les seules langues étrangères). Elle a reçu une forme encore plus élaborée avec
la Plate-forme de ressources et de références pour une éducation plurilingue et
interculturelle (dite la Plate-forme), présente sur le site du Conseil de l’Europe depuis
18
2009. Celle-ci, qui englobe le CECR. La mise oeuvre d'une éducation plurilingue passe
par l'aménagement des enseignements existants. Modifier les curriculums existants pour
arriver à des formes de convergence entre les enseignements de langues suppose
fondamentalement d'agir sur les représentations sociales des utilisateurs et des
décideurs.
Liens
Cadre européen commun de référence pour les langues. Apprendre, enseigner, évaluer (Conseil de
l’Europe ; 2000) : http://www.coe.int/t/dg4/linguistic/Source/Framework_FR.pdf
Descriptions de niveaux de référence du Cadre pour les langues nationales et régionales (DNR) :
http://www.coe.int/t/dg4/linguistic/DNR_FR.asp
Guide pour l’élaboration des politiques linguistiques éducatives en Europe (2007) :
http://www.coe.int/t/dg4/linguistic/Source/Guide_Main_Beacco2007_FR.doc
Plate-forme de ressources et de références pour une éducation plurilingue et interculturelle (dite la
Plate-forme 2009 : http://www.coe.int/t/dg4/linguistic/langeduc/le_platformintro_FR.asp
ジャン=クロード・ベアコ
(BEACCO Jean-Claude)
(新ソルボンヌ・パリ第三大学言語学・言語文化教育学教授、欧州評議会言語政策部プログラム
アドバイザー)
『ヨーロッパ言語共通参照枠』から『複言語・異文化間教育のためのリソースと
参照のプラットフォーム』:複言語・異文化間教育のツール
『ヨーロッパ言語共通参照枠』(以下『参照枠』と略記)はあまりにもよく知られてお
り、それゆえに誤解されている。これは,欧州評議会で作成された他の装置を「隠して」
いる。この講演では、それらを紹介し、よくあるような不正確で月並みな話に終始して
しまわないように努めたい。
『参照枠』は、言語教育・学習の「中心的・包括的理論モデル」を作るために作成さ
れた。これはとりわけ言語教育に共通の専門用語や,共通の能力記述文(これが能力を
定義する)を使って,言語能力「レベル」を確定するための基準を提示することをめざ
している。『参照枠』は複言語主義のツールであり、これによりモジュール型のプログ
ラムを作ることができる。なぜなら、柔軟で多様な教育プログラムを実現することこそ、
重要な最終目的だからである。
『参照枠』は言語教育業界で広く普及したものの、レベルの合格や、行動中心主義ア
プローチといった,もっとも狭く陳腐な使用形態を生み出し,複言語的観点はしばしば
「忘れられている」。《A1》, 《A2》、《A3》といった用語が、伝統的にレベルを示す「初
級」「中級」「上級」に相当するものとして使われている。また、『参照枠』の役割は言
語能力の証明書を公的なものとし、言語能力を証明するもので、その使用は「義務であ
る」とも言われている。このような考え方はいずれも、『参照枠』の教育目的となんら
関係がない。
『参照枠』の使用に際して期待されていることを元として、『国語と地域語に関する
参照枠レベルの記述』、とりわけ、「フランス語に関する参照レベル」(『レベルB2』
(2004), 『レベルA.1.1』 (2005), 『レベルA』 (2006), 『レベルA2』(2008), 『レベ
ルB1』(2011), ディディエ、パリ)といった、「個別言語への対応ツール」が作り上げ
られた。
19
複言語・異文化間教育という観点は『参照枠』の核心にあり,これは『ヨーロッパ言
語教育政策ガイド』(2007 年)によって「上から」発展していった。このガイドは外国
語だけでなく、すべての教育言語と関連している。これは、『複言語・異文化間教育の
ためのリソースと参照のプラットフォーム』(いわゆる『プラットフォーム』)でさらに
洗練されたものとなり,2009 年から欧州評議会のサイトに掲載されている。『プラット
フォーム』は『参照枠』を包括する。複言語教育の実施は既存の教育の整備を通じて行
われるが,現行のカリキュラムを改善し,さまざまな言語教育の収斂する形式にいたる
には、言語教育の使用者と決定者の抱く言語教育に関する社会的表象に対して根本から
働きかけることが必要だ。
CANDELIER Michel (ミシェル・カンドリエ)
Pôle de recherche InEdUM (Innovation en Éducation, Université du Maine)
CREN (Centre de Recherche en Éducation de Nantes)
Michel Candelier est Professeur émérite à l’Université du Maine et Professeur invité à l’Université de
Kyoto (décembre 2011 - avril 2012). Il a consacré de nombreuses recherches à la conception de
démarches éducatives plurilingues (et tout particulièrement l’Éveil aux langues) et à leur insertion dans le
cadre de politiques linguistiques éducatives ouvertes à la diversité. Ayant conçu le concept d’Approches
plurielles, il a coordonné récemment deux programmes européens visant à l’élaboration d’un Cadre de
Référence pour les Approches plurielles des langues et des Cultures (CARAP).
« Du CECR au CARAP (Cadre de Référence pour les Approches plurielles
desLangues et des Cultures) : prolongement et dépassement »
Depuis la parution du CECR, en 2001, plusieurs voix – dont celles d’un de ses
auteurs (cf. Coste 2006 et 2007) - se sont élevées pour signaler, en la regrettant, une
certaine discordance entre ce qui leur apparaissait comme un élément relevant du coeur
du projet – à savoir la perspective plurilingue au centre de laquelle se situe une prise de
position concernant la nature même de la compétence dite « plurilingue et
pluriculturelle » - et les usages effectifs du Cadre, dans lesquelles ces notions « sont
relativement peu mobilisées » (Coste 2006, 43).
On avancera l’idée que l’une des causes de cette discordance tient à une incohérence
interne au cadre, qui réside dans le fait que les outils tangibles proposés (les niveaux de
compétence, qui s’appliquent à chaque langue particulière apprise, prise isolément)
contredisent le discours tenu sur la nécessité d’une perspective plurilingue.
Pour utiles qu’ils soient, les développements de principes propres à cette perspective
auxquels on a assisté depuis (cf. Beacco & Byram 2007, Beacco et al. 2010) ne peuvent
à eux seuls assurer le dépassement nécessaire à la mise en oeuvre concrète des idées
novatrices avancées par le CECR en matière de plurilinguisme. En d’autres termes, le
dépassement par le discours, « par le haut » (cf. J.-C. Beacco, ici-même), doit être
lui-même accompagné de la mise à disposition d’outils pour le moins aussi explicites
que les échelles de compétences du CECR, présentant sous forme de descripteurs précis
ce qu’il serait souhaitable de développer chez les apprenants en termes de savoirs,
20
savoir-faire et savoir-être, dans le but d’assurer « l’installation ou le renforcement d’une
compétence plurilingue et pluriculturelle transversale » (CECR, 106) et une éducation
plurilingue et pluri/interculturelle (Beacco & Byram 2007, Beacco et al. 2010).
Parallèlement, pour rendre pleinement justice au CECR, on cherchera, par le biais
de la « relecture » auquel Coste invite (2007, 9), à recenser ce qui dans le CECR
pourrait, même approximativement, correspondre à de tels descripteurs.
On présentera ensuite une tentative de « combler le vide » (« par le bas » ?) sous la
forme d’un « Cadre de référence pour les approches plurielles des langues et des
cultures » (CARAP), développé au Centre européen pour les langues vivantes (CELV)
de Graz (Conseil de l’Europe) (http://carap.ecml.at/). Il conviendra alors de définir
rapidement ce que sont ces approches, mais surtout de présenter les outils produits (le
référentiel, la base de matériaux didactiques) en soulignant à la fois leur spécificité et
leur portée, orientée plus vers la construction d’apprentissages que vers leur évaluation.
Note
1. On notera qu’à de notables exceptions près (Castellotti et al. 2004), cette tâche n’est pas non plus
remplie par les portfolios.
Bibliographie sommaire :
Beacco, J.-C. & Byram, M. (2007), De la diversité linguistique à l’éducation plurilingue - Guide pour
l’élaboration des politiques linguistiques éducatives en Europe.
http://www.coe.int/t/dg4/linguistic/langeduc/le_platformintro_FR.asp?
Beacco, J.-C. et al. (2010), Guide pour le développement et la mise en oeuvre de curriculums pour une
éducation plurilingue et interculturelle. [ibid.]
Castellotti, V., Coste, D., Moore, D. & Tagliante, C. (2004), Portfolio européen des langues, collège,
Paris: Didier / ENS / CIEP.
Coste, D. (2006), « Le Cadre européen commun de référence pour les langues : traditions, traductions,
translations. Retour subjectif sur un parcours. », Synergies Europe n° 1, 40-46.
Coste, D. (2007), « Le Cadre européen commun de référence pour les langues. Contextualisation et/ou
standardisation ? », Communication au Colloque international de la FIPF, Le Cadre européen, une
référence mondiale ? Sèvres, juin 2007 http://www.francparler.org/dossiers/pj/coste_190607.doc
ミシェル・カンドリエ
(CANDELIER Michel)
InEdUM (教育におけるイノベーション.メーヌ大学), CREN (ナント教育研究セン
ター)研究主任
ミシェル・カンドリエ氏は,メーヌ大学名誉教授,京都大学客員教授(2011 年11 月〜
2012 年4 月)で,複言語教育のプロセス(なかでも「言語への目覚め」)の立案,な
らびにそれらを多様性に向けて開かれた言語教育政策の枠組みへ導入するため,数多く
の研究に携わってきた.「多元的アプローチ」の概念を着想し,最近 「多元的アプロ
ーチのための言語,文化参照枠」の作成を目指し,ヨーロッパの2つのプログラムを連
携させた.
『ヨーロッパ言語参照枠』から『多元的アプローチのための参照枠』へ:継承と凌駕
2001 年に「ヨーロッパ言語共通参照枠」が刊行されて以来,様々な声が立ち上がり
(なかには作成者の一人の声もある (cf. Coste 2006 et 2007) ),実際,作成者らがプロ
ジェクトの中核に属する要素と見なしていること(すなわち,いわゆる「複言語・複文
21
化」能力の本質の関わる複言語的の視点)と,これらの概念が「ほとんど動員されてい
ない」(Coste 2006, 43) という参照枠の実際の使用状況とのある種の不一致を指摘し嘆
いている.が,(それを嘆きながら)警鐘を鳴らすために挙げられた.
こうした不一致の原因のひとつは「参照枠」内部の一貫性の欠如に起因するという
考えを強調することもできよう.それは提示された目に見える道具(個別的に学習した
それぞれの言語に適用される能力レベル)が複言語的視点の必要性について主張した言
説と矛盾しているのである.
いかにそれが便利であれ,我々がこれまでに関わってきたこの複言語的視点に固有
の原理だけを発展させたところで (cf. Beacco & Byram 2007, Beacco et al. 2010) ,複言語
主義に関して参照枠が進めてきた革新的なアイデアを具体的に実施するために必要な
ことを行うことはできない.言い換えれば,「上からの」 (cf. J.-C. Beacco, ici-même) 言
説によってこれまでの実践を乗り越えるには,少なくとも「参照枠」の能力の一覧表と
同じくらい明確な道具の配置を伴わなくてはならない (Beacco & Byram 2007, Beacco et
al. 2010).「参照枠」は,「横断的な複言語・複文化能力を身につける,あるいは強化」
(CECR, 106) ,複言語,複文化・異文化間教育を進めるために,正確な能力記述文の形
で,学習者が,知識,技能,実存能力に関して発達させることが望ましい事柄を示す.
同時に,参照枠を全く正当性なものにするために,Coste (2007, 9) が勧めるように
「参照枠」の「再読」という間接的な方法で,「参照枠」のなかでおおよそであれ,各々
の能力記述文に対応しているものを列挙することが必要だろう.
次に,(「下から」 ?)「隙間を埋める」試みとして,グラーツ欧州評議会)のヨ
ーロッパ現代語センターで開発された「多元的アプローチのための参照枠」
(http://carap.ecml.at/) を紹介したい.これらのアプローチがどういったものであるかを
素早く定義し,とりわけ開発された道具(リストや基本的教材)を紹介し,その特異性
と,評価以上に学習の構築に向けられた点を同時に強調したい.

1. 注目すべき例外 (Castellotti et al. 2004) を除いて,こうしたタスクはもはやポートフ
ォリオに盛り込まれていないことを断っておく.
江利川 春雄 (ERIKAWA Haruo)
和歌山大学教育学部教授。博士(教育学)。神戸英語教育学会会長,日本英語教育史学会副会長
平和,民主主義,民族連帯のための英語教育を
本の学校教育の目的は,教育基本法(1947 年施行,2006 年改訂)で定められてい
る。「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者」を育成す
るために行うのである。この目的は,悲惨な侵略戦争の敗北を経て,教育が二度と戦争
に加担しないという誓いに基づいて制定された。したがって,英語教育の終局目的も,
世界の平和,民主主義,民族連帯に寄与するものでなければならない。この崇高な理念
は,EU の設立理念や『ヨーロッパ言語共通参照枠』の精神と共通する。
しかし,今日の日本の外国語教育政策は,多国籍企業の要求を反映して,英語が使え
るエリート育成と,英語の運用力だけを求めるスキル主義を推し進めている。教育の目
22
的(Aims)を忘れ,技能面での目標(Objectives)だけを追求しているのである。こ
うした歪んだ政策を是正し,本来の英語教育の目的を追求するために,以下の課題を提
起したい。
(1)高校まで英語以外の外国語をほとんど選択できないのは異常であり,日本人の
世界認識を歪めている。複数言語を開講すべきである。英語を教える場合でも,それが
世界の多様な言語や文化に興味を持たせるための入口の一つに過ぎないことを自覚し,
教材内容を吟味すべきである。
(2)学校教育で「英語が使える日本人」を育成するという政府の方針は,誤った幻
想である。日本人にとって英語は言語系統が大きく異なる上に,日常生活で必要としな
い。仕事で英語を必要とする日本人は10%以下にすぎない。したがって,日本の学校
の外国語教育が目指すべきことは,次の2つである。
(A) 将来外国語を使う必要に迫られたときに,自力で外国語を習得するための基礎的
素養と学び方を教えること。
(B) 外国語学習を通じて母語(日本語)を再認識させ,豊かで批判的な思考力を高め
ることで,権力やメディアのウソにだまされず,歴史を主体的に作り上げる主権者を育
てること。
ERIKAWA Haruo (江利川 春雄)
Professeur de l’Université de Wakayama (Ph.D. en Didactique)
Président de la société de didactique de l’anglais de Kobe
Vice-président de la société japonaise de l’histoire de didactique de l’anglais
L’enseignement de l’anglais pour la paix, la démocratie et la solidarité nationale
Les objectifs de l’éducation scolaire japonais sont définis par la loi fondamentale
de l’éducation (appliquée en 1947, révisée en 2006). L’éducation, ayant pour objectif de
perfectionner la personnalité, est mise en oeuvre pour la formation des membres de la
nation et d’une société paisible et démocratique. Cet objectif a été établi, après la défaite
durant la seconde guerre mondiale et l’occupation qui l’a suivie, sur la base du serment
que l’éducation n’y participerait plus. Donc, l’objectif ultime de l’enseignement de
l’anglais doit être de contribuer à la paix mondiale, à la démocratie et à la solidarité
nationale. Cette idée sublime est similaire à celle qui a abouti à l’établissement de
l’Union européenne et conforme à l’esprit du « Cadre européen commun de référence
pour les langues ».
Mais la politique japonaise des langues étrangères d’aujourd’hui, repensée sous la
pression des entreprises multinationales, pousse à la formation d’une élite qui manie
l’anglais, avec une forme de pragmatisme qui exige une compétence seulement pratique
en anglais, c’est-à-dire qu’on oublie le but de l’éducation et qu’on poursuit un objectif
exclusivement technique. Pour réformer cette politique dévoyée et retrouver une
ambition propre à l’enseignement de l’anglais, je voudrais faire un certain nombre de
propositions.
(1) Il est anormal que l’on ne puisse pas choisir des langues étrangères autres que
l’anglais avant l’entrée à l’université, cela déforme la connaissance du monde des
Japonais. Il faut créer des cours pour plusieurs langues. Dans le cas aussi de
23
l’enseignement de l’anglais, il faut faire prendre conscience que ce n’est qu’une voie
possible pour faire approcher la diversité des langues et de la culture mondiale, et
réexaminer le contenu des matériaux pédagogiques.
(2) L’orientation gouvernementale qui veut que l’on forme « des Japonais
compétents en anglais » dans l’éducation scolaire est illusoire. Pour les Japonais,
l’anglais est très différent, il appartient à une autre famille de langues, et en plus, ce
n’est pas essentiel à la vie quotidienne. C’est moins de dix pour cent des Japonais
seulement qui ont besoin de l’anglais au travail. L’objectif de l’enseignement des
langues étrangères au Japon devrait être :
(A) Enseigner la connaissance fondamentale et le moyen d’apprendre pour apprendre
des langues étrangères en autonomie sans présumer de leur utilité future.
(B) Faire réfléchir sur la langue maternelle (le japonais) à travers l’apprentissage de
la langue étrangère et cultiver l’esprit critique de l’apprenant, former des individus
souverains capables de penser par eux-mêmes et de prendre de la distance par rapport à
la prétendue autorité des mass-média.
FORLOT Gilles
(ジル・フォルロ)
Université de Picardie Jules Verne (Amiens & Beauvais, France)
Institut Universitaire de Formation de Maîtres
Laboratoire d’études sociolinguistiques sur les contacts de langues et la politique linguistique
[ LESCLaP-CERCLL, EA 4283 – www.u-picardie.fr/lesclap/ ]
gilles.forlot@u-picardie.fr
L’anglais dans et pour le Cadre européen : vers des pratiques complexes et
plurielles d’enseignement-apprentissage des langues
Dans les sociétés occidentales, quel que soit leur niveau de développement économique,
un enjeu linguistique, parallèle à l’émergence de la mondialisation, s’est fait jour il y a
quelques décennies : l’avènement de l’anglais comme langue mondiale (Brutt-Griffler
2002), tant au niveau des communications quotidiennes que sur le plan des
appropriations langagières dans les espaces éducatifs. L’intervention propose une
réflexion didactique et sociolinguistique d’une part sur le rôle, somme toute assez connu
en Europe désormais, du Cadre européen de référence pour les langues de 2001 dans
l’enseignement-apprentissage de l’anglais, et d’autre part sur les fonctions de cette
langue dans des démarches d’ouverture à la diversité linguistique et culturelle. Notre
objectif est de montrer que l’anglais peut (et doit, sans doute) s’apprendre non
seulement pour ses vertus instrumentales en tant que langue internationale, mais aussi
dans le cadre d’approches plurielles (Candelier 2007) permettant à cette langue de servir
de passerelles (Forlot 2009) vers d’autres apprentissages langagiers. Pour innovantes
qu’elles puissent paraître dans le champ scolaire, ces démarches sont compatibles avec
la philosophie qui sous-tend le CECRL et constituent aussi un moyen pour les locuteurs
du cercle d’expansion de l’anglais (Kachru 1992) de percevoir légitimement l’anglais
non plus comme une langue oppressante, envahissante et/ou hégémonique (Cassen
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2005), mais comme une langue ressource.
Références
Brutt-Griffler, J. 2002. World English. A Study of its Development. Clevedon: Multilingual Matters.
Candelier M. 2008. « Approches plurielles, didactiques du plurilinguisme : le même et l’autre » Cahiers
de l’ACEDLE 5/1 : 65-90.
Candelier M. (coord.) et alii. 2007. A travers les langues et les cultures. CARAP. Cadre de référence pour
les approches plurielles des langues et des cultures. Graz : Centre européen pour les langues vivantes.
Cassen, B. 2005. « Un monde polyglotte pour échapper à la dictature de l’anglais ». Le Monde
Diplomatique, n° 2005/1 : 22-23
Forlot G. (dir.), 2009. L’anglais et le plurilinguisme. Pour une didactique des contacts et passerelles
linguistiques. Paris : L’Harmattan.
Kachru, B. 1992. The Other Tongue: English Across Cultures. Urbana: University of Illinois Press.
ジル・フォルロ(FORLOT Gilles)
ピカルディ大学 gilles.forlot@u-picardie.fr
『参照枠』における英語と『参照枠』にとっての英語:言語教育・学習の
複合
的で多元的な実践をめざして
『ヨーロッパ言語共通参照枠』における英語,『ヨーロッパ言語共通参照枠』にとって
の英語:複層的で多元的な言語教育/学習の実践へ向けて
西洋社会においては,その経済発展の水準がいかなるものであれ,グローバリゼーシ
ョンの出現と平行した言語への取り組みが数十年前から始まっている。すなわち,日常
のコミュニケーションのレベルと同時に,教育現場でも言語習得において世界共通語と
しての英語 (Brutt-Griffler 2002) が出現している。この発表では,英語教育・学習に
おける,2001 年以降ヨーロッパで周知のものとなった『ヨーロッパ言語共通参照枠』
の役割について,また言語・文化の多様性を拓くための,英語の機能に関する教育学的,
社会言語学的考察を提案する。われわれの目的は,英語を国際語という道具主義的な利
点のためだけでなく,他の言語学習への入り口として役立たせることを可能とする
(Forlot 2009) 多元的アプローチ (Candelier 2007) の枠組みでも学習することが可能
である,またそうすべきであることを示すことにある。これらのステップは学校現場で
も取り入れ可能な新機軸として,参照枠の底流にある哲学とも共存可能なもので,英語
の拡大の最中にいるこの言語の使用者たち (Kachru 1992) にとって,英語がもはや圧
迫的,侵略的,そして覇権的な言語 (Cassen 2005) としてではなく,リソースの言語
としての正当性をもつための手段となることを明らかにする。
藤原三枝子(FUJIWARA Mieko)
甲南大学国際言語文化センター教授。「専門は外国語教育学」。発表関連論文に、「大学におけ
るドイツ語の学習開始動機に関する量的研究」(2010:『ドイツ語教育』)、「日本の大学のドイツ
語教育に『ヨーロッパ言語共通参照枠』を生かす試み」(2010:『日本と諸外国の言語教育にお
けるCan-Do評価 − 欧州言語共通参照枠(CEFR)の適用』朝日出版社)、Interkulturelle Kompetenz
als Lehr- und Lernziel im Fremdsprachenunterricht.(2008:台湾・大葉大学『欧州語文国際学術研討
会論文集』)他。
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学習者はドイツ語を学ぶことの意味をどこに求めているのか?
「英語さえできればよい」という考えが日本では特に強いと感じられる。大谷泰照氏
は、『日本人にとって英語とは何か−異文化理解のあり方を問う−』(2007)のなかで、
他国の学生と比較して日本人学生は言語に対して、いわゆる大国でありさえすればその
国の言語が望ましいと考える傾向が強いと指摘している。こうした中で、民族言語的バ
イタリティーの強い英語とは違って、日本の大学でドイツ語を学ぶ学生たちの学習理由
は何であろうか?学習者たちはいったい何を学びたいと思い大学のドイツ語の授業に
参加しているのだろうか?こうした疑問に答えるために、2009 年4 月〜5 月に、非専
門科目としてドイツ語を学ぶ12 大学の1 年生約1200 名を対象として質問紙調査を実
施し、潜在的な学習理由や学習内容に対する希望を統計的手法によって分析した。その
結果、ドイツ語学習の理由については5 つの要因がとりだされたが、特に強いのは「異
文化や言語への憧れや関心」だった。この学習理由は、調査した学生の専門分野が、人
文系でも社会系でも、理工系や芸術系でも、医療看護系でも一番の理由であった。また、
学生たちがドイツ語の学習に希望している内容としては「言語知識・読解」、「対人コミ
ュニケーション」、「文化社会事情」の3 つの要因があり、特に「対人コミュニケーショ
ン」に関するスキルを身につけたいと希望していることが示された。
2007 年に日本の中学生・高校生を対象として実施したドイツやドイツ人に関するイ
メージ調査では、ドイツに対するイメージは、中学1 年の段階ですでにかなりステレオ
タイプ化された形で定着し、高校3 年まで大きく多様化する可能性が低いことが示唆さ
れた。従って、コミュニケーション言語能力の養成を目指す授業であっても、CEFR で
叙述的知識(savoir)として挙げられている「社会文化的知識」や、技能とノウ・ハウ
(savoir-faire)の一つである「異文化間技能」および実存的能力(savoir-être)として挙
げられている「新しい社会や文化などに対する開かれた態度や興味」などの育成は、日
本の大学におけるドイツ語教育においても重要だと思われる。
FUJIWARA Mieko (藤原三枝子)
Professeur de l’Université Kônan (Centre international pour les langues & cultures).
Spécialité : didactique des langues étrangères.
Quelles raisons ont les apprenants d’apprendre l’allemand ?
Au Japon, il semble que l’idée qu’il est suffisant de maîtriser l’anglais seulement soit
particulièrement puissante. Monsieur OHTANI Yasuteru remarque, dans son ouvrage
« 日本人にとって英語とは何か−異文化理解のあり方を問う− (2007) » , que par
rapport aux étudiants étrangers, les étudiants japonais ont tendance à penser qu’une
langue mérite d’être étudiée seulement si elle appartient à un « grand pays ». Dans cette
situation, pour les étudiants, pour quelle raison apprendre l’allemand (sa vitalité
ethnolinguistique n’est pas aussi forte que celle de l’anglais) à l’université japonaise ?
Qu’est-ce que les apprenants veulent apprendre en participant au cours d’allemand ?
Pour répondre à ces questions, nous avons fait une enquête auprès des étudiants de
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première année de 12 universités (environ 1200 personnes) qui apprennent l’allemand
en tant que matière non-obligatoire pendant un an, en 2009, et analysé statistiquement
les raisons potentielles et leurs demandes sur les contenus de cet apprentissage. Au total,
nous avons dégagé cinq facteurs, parmi lesquels « l’aspiration et l’intérêt pour la culture
étrangère et / ou la langue » était le plus fort. Cette raison pour justifier leur choix était
la première quelle que soit leur spécialité (sciences humaines, sciences sociales,
sciences naturelles, technologie, arts, formation médicale et d’infirmier). En ce qui
concerne le contenu qu’ils souhaitaient avoir dans leur apprentissage, il y avait trois
éléments : « le savoir linguistique/ la lecture », « la communication », « le savoir-faire
dans les situations culturelles et sociales ». Notre étude a montré qu’ils souhaitaient
particulièrement acquérir une compétence de communication.
Une enquête réalisée en 2007 auprès de collégiens et lycéens japonais concernant
leurs impressions de l’Allemagne et des Allemands suggère que celles-ci se fixent déjà
sous forme de stéréotypes au moment de la première année du collège, et il est peu
probable qu’elles se diversifient grandement jusqu’au moment de la troisième année du
lycée. Donc, même si le cours a pour objectif de former des compétences
communicatives langagières, il s’agit de développer aussi « un savoir socioculturel », tel
q