第二章 ピアジェの心理学における子どもの言語と思考の問題

8 唯物論か観念論か

 ピアジェは、社会化の中に論理的思考の発達の唯一の源泉をみているが、この節ではその理論の中心的位置を占める社会化の過程とはどこにあるのかとヴィゴツキーは問う。
 「事物が知性を論理的検証の必要に導くのではなく、事物そのものが知性によって形づくられる」
 という記述にあるとおり、ピアジェは、他人の意識との交流のなかから理論的思考の要求や心理の認識自体が生ずるとし、外的客観的現実は子どもの思考の発達に決定的役割を果たさないと考える。ヴィゴツキーは、ピアジェが、心理学主義の観念論的見地に基づき、因果性に関してその客観性を否定していると述べる。ピアジェは、現実のカテゴリの発達と形式的論理の発達との間には類似、さらには平行関係が存在していることを単に指摘するにとどまる。ピアジェは、意識的に観念論と唯物論との境界線上にたちどまり、実際にはマッハと同じ観点にたって、論理的カテゴリの客観的意義を否定しながら、不可知論の立場を維持しようとしている。

9. 結論
 九節の結論では、ピアジェの思想全体を決定する中心的・基本的立場が概括されている。それらは、現実性の欠如と,子どものこの現実にたいする関係の欠如、すなわち子どもの実際活動の欠如である。ピアジェの理論構成全体の中心点は、子どもの論理的思考ならびにその発達を、現実から完全に切り離された純粋な意識の交流の中から,子どもの現実の獲得に向けられた社会的実践を全く考慮することなしに導き出そうとする試みにより構成されている。ヴィゴツキーは、このようなピアジェの立場には本質的修正が必要と考える。ピアジェの語る特質の及ぶ範囲を限定する必要があり、また子どもには経験が不浸透であるというドグマを修正する必要もある。

第三章 シュテルンの心理学に於ける言語発達の問題

 シュテルンは、言語には3つの根源−表現的傾向、コミュニケーションに対する社会的傾向、「意向的」傾向があるとし、最後の意向的傾向は人間の言語に固有の特徴と考える。意向はここで「一定の意味に向けられた方向性」と定義され、意向行為は本質において、思考行為であり、意向の表現は言語の知性化・客観化を意味する。

 シュテルンは、発生論的説明の必要な人間の発達した言語の特徴の中に、言語発達の根源、原動力、根源的傾向、ほとんど性向とよびえるもの、いずれにしても言語発達の当初に実際に働く、ある原始的なもの、「意向的」動機をみている。ヴィゴツキーは、ここでの反発生主義や内部的破算、空虚さを指摘する。

   シュテルンはまた、子どもが一歳半で記号と意味との間の関係を理解し、言語の象徴的機能を自覚し、その後,言語の意味とそれを獲得する意欲を意識し、最後に一般的規則の理解と一般的思想の存在を認識するとのべるが、ここに理論的根拠はあるのかとヴィゴツキーは批判する。シュテルンによる子どもの言語発達の説明における主知的性格、反発生論的傾向は、概念発達の問題や言語と思考の発達における基本的段階の問題等、他の重要な諸問題の解釈にもあらわれている。(RM)