第8章 言語と民族

 言語と民族の間に必然的結びつきはあるか,メイエはここまでにもたびたびこの問題を取り上げているが,ここで項を新たに論じる。メイエによれば,「ある民族に属するか否かということは,感情および意志の問題」(p. 99)であり,必ずしも言語が民族を構成するのではない。プロヴァンス語を話していたフランス人はフランス人の自覚を持っていたが,その一方で,スイスやベルギーのフランス語話者はフランス人であるとの自覚を持っていない。言語の同一性や,部分的であれ文化の同一性が民族的同一性を形成するには至らないのである。そこでは国家の歴史や伝統,風俗などが民族アイデンティティの根拠となる。またオスマントルコ帝国には,ギリシア語の使用を廃したギリシア人やアルメニア語の使用を廃したアルメニア人がいたが,彼らはそれぞれの民族アイデンティティを保持していた。彼らは言語生活を帝国の言語であるトルコ語に切り替えたのだが,トルコ人になったとは考えなかったのである。言語が,ギリシア人やアルメニア人であるとの民族アイデンティティを培うものではなく,彼らは感情や意志により民族アイデンティティを保持していた。

 しかしその一方で,言語が民族アイデンティティの形成に無益だというのではない。「言語の差異が消滅するところでは,民族的差異も次第に消滅に向かい,また民族的感情の欠けたところでは言語の差異も滅び行くものである。」(p. 99)これはフランスにおける地域語の運命を説明するものである。ブルトン語を話すフランス人が独自の民族感情を持たないために,次第にフランス語による言語生活へと移行し,ブルトン語は次第に衰退と消滅へ向かう,とメイエは述べる。

 しかしメイエの予想がすべてかなったわけではない。20世紀後半の地域語復興運動は彼らが民族的アイデンティティを新たに作り上げたということなのだろうか。