第7章 言語と人種

 メイエは言語と人種raceとの間には何ら必然性はないとの命題から出発する。(p. 86)これを例証するために,メイエは英語を取り上げ,英語を話すゲルマン人がいかに混血を進めてきたか,またその混血のために英語の中にいかに多くの借用語が入ってきたのかを論ずる。

 さらにラテンアメリカの事例を見ると,スペイン語並びにポルトガルが文明語として中央アメリカ,南アメリカに普及しており,そこでの人巣が移民と原住民との混血により成立していることを見ると,人種と言語の間には必然的結びつきはないことは明らかである。

 次いでメイエは「人種」とは何かを概観し,「人種は肉体的特徴によって規定される。」La race se définit par des caractères physiques. (p. 71)と述べる。しかしメイエは「ところで純粋は人種はほとんど全く見られない。」On n'observe guère de races pures à l'heure actuelle.とも付言し,人種の存在に疑問を付す。メイエがヨーロッパに現存する人種としてあげるのはユダヤ「人種」にほかならない。これは同じグループの中でのみ婚姻が行われることから混血がすくなく,そのために「人種」が温存されているとの考えかもしれない。

 しかしこの一方で,メイエは人種を肉体的特徴に従って規定されると考えているのであれば,ユダヤ人は肉体的に他のヨーロッパ人とは異なると判断したのだろうか。肉体的特徴の一つには肌の色があり,黒人,白人,黄色人種に分類されるが,ユダヤ人を人種と規定するに当たっては皮膚の色以外の異なる特徴があることを暗示しているのだろうか。メイエはユダヤ「人種」の肉体的特徴については何一つ明らかにしていない。

 メイエにとって重要な事実は言語である。ユダヤ「人種」は固有の言語を有さず,棲む国の言語を使用するという。これは言語と人種の間に必然的類縁性がないとするメイエの命題を支える論拠となる。

 人間が時代に応じて言語を代えることはメイエの見る歴史から見るとしばしば起こった現象である。