第3章 個人の権利と集団的権利

 本章では、エスニック集団や民族的マイノリティによる様々な形態の集団別市民権について、それが行使される意図や、それが個々人の権利とどのような関わりを持っているのについて、著者の考えが述べられている。

第1節 対内的制約と対外的防御
非主流社会の人々が対内的あるいは対外的に要求する権利にはいったいどのような形態のものがあるのだろうか。筆者はそれを「対内的制約」と「対外的防御」というキーワードによって説明する。前者は集団内関係に関わり、ある集団が自らの成員に対して行う権利要求であり、集団を内部の異論のもたらす不安定化から保護することを意図する。後者は、集団間関係に関わり、集団が主流社会に対して行う権利要求であり、集団を外部の決定による衝撃から保護することを意図する(p.51)。

 また著者は第2章でも扱った自治権エスニック文化権といった集団別市民権を本章でも取り上げて、それらが対外的防御のために利用されるとする(P.53)。時にこのような対外的防御は、非主流社会の共同体がその個々人に対して内在的制約を課すために利用される場合がある(p.58)。あるいは保留地設定の問題のように、主流社会への経済的・政治的な防御が、皮肉にも個々人の自由を制約する場合もある(p.62)。

第2節 「集団的権利」の曖昧さ
 「集団的権利」と「集団別権利」とを混同してはならない。前者は広範囲の内容を含んでいる上に、対内的制約と対外的防御を区別していない(p.63)。また留意すべきことは、集団別権利を行使するのは「集団」ではなく「個人」ということである(p.64)。著者が強調して問いかけることは、フランス系カナダ人の言語権やインディアンの狩猟権といった集団別権利が、なぜ特定の集団のみに認められるのか、という点である(p.65、66)。著者は前者について、それがフランス系カナダ人の民族的権利を構成する一要素であるからだとする(p.65)。逆に、移民集団は民族的マイノリティではないので同種の言語権は与えられない。 

 集団別市民権を集団的権利の視点から捉えたために個人主義者と共同体主義者の間の論争が起こった。個人主義者はエスニック集団や民族集団が何らかの集団的権利を持っているという考え方を拒否する。逆に集団主義者は共同体の利益がそれを構成する成員の利益に還元され得るという考え方を否定する。しかしながらこのような論争は著者からすれば不毛なものである(p.66〜68)。

 最後に著者は、異なる集団の成員相互間の正義は、集団別市民権を要請するという主張で本章を締めくくった。(KT)