フランスの対外言語政策と教師養成

フランスの対外言語政策と教師養成

 この報告では,フランス政府の派遣するフランス語教師がどのような人材であるか,これがどのようなフランスの対外言語政策を背景としているのかを考察する。これを論ずるにあたり,まずフランス語教師の類型を明らかにする。その上で派遣型教師としての「協力員」の経緯を解明し,次いで現在行われている「国際ボランティア」について論及する。これにより,フランス政府のフランス語教師派遣の意義を論じ,それがどのような言語政策観から生まれているかを考えたい。

フランス語教師の類型
 フランス国内でフランス語教育に従事する教師には,フランス国民教育省(日本の文部科学省に相当)に所属する教師と,語学学校などで外国人に対して「外国語としてのフランス語」を教える教師,ならびに主に移民に対してフランス語を教える教師の3種類が存在する。
 第1のカテゴリーの教師は,おもにフランス語を母語とする生徒を学習者とするが,家庭内でフランス語以外の言語を使用する可能性のある移民2世や,外国人としてフランスに居住する生徒を含むことがある。それにもかかわらず,教師は教員養成においてほぼ独占的に母語としてのフランス語に関する教授法を学び,第2言語や外国語としてのフランス語教授法の研修は十分に制度化されていない。またフランスの公教育に従事するには国民教育省の採用試験に合格する必要がある。
 第2のカテゴリーには,フランスに短期あるいは長期滞在し,語学学校に通う外国人にフランス語を教授する教師があげられる。彼らは「外国語としてのフランス語」のコースを修了したり,その研修の受講者であることが望ましいが,これはかならずしも必須の要件ではない。語学学校は公教育に該当しないため,正規の資格が存在しないのである。
 第3には移民へのフランス語教育に関わる教師があげられる。これは,近年法制化された移民の社会統合政策と関連がある。フランス政府は移民の社会統合を進めるため,2007年に「受け入れ統合契約」を正式に導入し,これにより成人移民はフランスに居住するにあたり,一定のフランス語能力が要求されることとなった。そして最低限のフランス語能力を保持しない移民はフランス語研修を無償で受講できるようになった。この措置により,成人移民を対象とするフランス語教育の市場がフランス国内に新たに出現したのである。
 これまで移民へのフランス語教育に従事していた人々は,ボランティアを中心とするもので,必ずしも専門家ではなく,移民教育センターには1名程度の専門研修を受けた教師が勤務するくらいだった。ここでの専門研修とは,大学で「外国語としてのフランス語」コースの修士課程,あるいは専門課程を受講することを意味している。しかし,このコースで対象となるのはあくまでも「外国語としてのフランス語」であり,移民がフランスでの暮らしに必要な「第2言語としてのフランス語」あるいはフランスでの社会統合に必要なフランス語ではない。そこでこの齟齬を改善するため,「受け入れ統合契約」の制度改正に伴い,「外国語としてのフランス語」コースには「統合のためのフランス語」というオプションの設置が求められ,移民教育を担当するセンターには大学の修士課程においてこのオプションを受講した教員が必要となった。センターの教師は移民の言語レベルの判定を行うこととなり,これが国籍の取得の条件となった。そこで,教師は行政上の責任の一端を負うこととなり,移民教育の専門家としての教師の質が問われることとなったのである。
 次に,国外のフランス語教師を考えてみたい。これは,まずフランスの国民教育省などの公務員資格を保持する教師と,保持しない教師,そしてフランス政府の派遣によるが,必ずしも公務員資格を持たない教師の3種類に分類される。公務員資格を持つ教師については,フランス政府が直接に給与を支給している教師と,公務員資格を持ちながらもフランス政府からの出向者として任地国の教育機関が給与を負担し,フランス語教育に従事している教師とに分類される。前者については文字通りの政府派遣の公務員であるが,この数は減少し,日本では現在,学院やアリアンス・フランセーズなどのフランス文化ネットワークの管理職や大使館のアタッシェなどであり,彼らが直接フランス語教育に従事することはほとんどない。
 次に,フランス政府派遣であるものの,必ずしも公務員の資格を有さないフランス語教師があげられるが,かれらはどのような教師だろうか。フランスは1996年まで徴兵制を実施していたが,これと平行し兵役の代替として1962年以降,「(海外)協力員」制度が存在していた。この「協力員」の中にはフランス語教育に従事するものが多くいたのである。この制度は兵役の廃止に伴い1996年に廃止され,その後2000年より「国際ボランティア」として新たな制度の元に再出発している。これが日本の青年海外協力隊による日本語教師に比較しうる制度と考えられる。
 またフランス国外で働くフランス語教師の第三のカテゴリーとして,現地の教育機関に直接に雇用された教師もいるが,これはここで取りあげない。
 フランス語教師に関するこのような類型を踏まえ,また青年海外協力隊との比較を前提として,かつての「協力員」,その後の「国際ボランティア」とは何かを検討してみたい。

協力員について
 「国外公務協力」と呼ばれる制度は兵役の代替となるものとして,1962年に制定され,1963年より実施され,1968年には4425名の若者が教師として国外に派遣された(Basdevant, 1984, p. 45)。これは10ヶ月の兵役よりも長い16ヶ月という期間(教育関係者は24ヶ月),大使館などの国外のフランス政府関係機関や,旧フランス領植民地においてフランスとの二国間合意により認可された機関において専門業務に従事する制度であり,1996年に兵役が廃止されるまで世界各地にフランスの若者を派遣した。フランス語教育に直接に関連する分野としては,初等教育の視学官や中等,高等教育,専門学校など教育分野に展開した。日本でもこれまで,学院やアリアンス・フランセーズ,アテネ・フランセなどに協力員は派遣されていた。
 この協力制度は若者が国外での職業経験を積み,キャリアアップを可能にするという点で優れた制度であるとして,肯定的なイメージで受け止められてきた。しかしその一方で,兵役を忌避して自己の利益となる経験を積むことになるとの否定的イメージもあったことを忘れてはならない。
 協力員の派遣された背景には脱植民地期の社会情勢があった。「協力員」制度が始められたのは,1962年,アルジェリア戦争終結し,フランスの旧植民地の多くが脱植民地化を迎えた時期のことだった。それまでフランス領植民地の多くでは,植民地同化主義政策の原則にもかかわらず,フランス語教育が普及していなかったが,独立と共に教育制度の整備に着手する。しかし,植民地当局は教員養成のための師範学校をほとんど設置しなかったことから,教員資格を持った現地人はごく少数であった。また教育制度それ自体フランスの制度の引き写しであったことから,フランス人の教員資格者が協力員などの資格で旧植民地での教育に従事することとなったのである。いわば,独立にもかかわらず,教育において植民地体制を払拭することができなかったのである。
 しかし世界銀行の進める構造調整の影響を受けて,フランス人教師による教育から,現地人による教育へと公教育の担い手は次第に変化していった。というのも,フランス外務省はフランス人教師に対して最低限の賃金を払うものの,瘴癘地手当などは現地政府が担当することが多く,これがアフリカ諸国の財政負担を生んでいったのである(Porcher)。その後旧植民地は独立後の発展に伴い,フランスとの二国間関係を次第に見直し,その中で協力員の活動領域は派遣国の公共分野から,国外に活動するフランスの大企業へと次第に活動の場を移していった。
 このように,公共分野から民間分野へと協力員の活動の場が次第に変質するようになって以来,フランス国内で論争がわき起こった。協力員制度はフランス人の若者や国家に意義があると主張する人々がいる一方で,これは大企業などに無償に近い経費で労働力を提供するにほかならないとの批判が巻き起こったのである。協力員の給与は原則としてフランス外務省が支弁しており,受け入れ機関や企業は無償に近い形で雇用することができたからである。
 しかし,1996年の兵役廃止に伴い,この制度も廃止され,2000年から「企業国際ボランティア」「行政国際ボランティア」,そして2005年からは「国際連帯ボランティア」として再編された。この中の「行政国際ボランティア」が国外でのフランス語教育に関連している。では次のこの制度の運用を検討したい。

「国際ボランティア」とは
 「協力員」制度の代替となった「国際ボランティア」とはどのような制度なのだろうか。そしてこの制度のもと,どのようなフランス語教師が国際社会に派遣されたのだろうか。
 2000年に発足したこの制度は「行政国際ボランティア」と「企業国際ボランティア」の2種類に分かれている。前者は,フランス大使館などの在外公館や公的機関に派遣されるものであり,後者は在外フランス企業に派遣されるもので,フランス語教師の派遣は前者のカテゴリーに分類される。
 「行政国際ボランティア」は18歳から28歳までの,フランス国籍およびヨーロッパ諸国の国籍(おそらくEU加盟国)の保持者を対象としている。これは,フランス人ではなくとも「行政国際ボランティア」の応募条件を満たしていれば,応募ができることを意味している。そしてその期間は6ヶ月から24ヶ月となっており,一度の更新はできるが,24ヶ月を超えることはできない。この制度は,国際ボランティア情報センター,企業国際開発フランス機構,フランス外務省,国庫・経済政策総局といった公的機関が運営している。派遣先では,その国の生活水準などに応じて,1100ユーロから2900ユーロの給与が支給され,これに加えて,社会保障費ならびに任地への往復チケット,および150キロまでの荷物の運送費が国の負担となっている。また報酬は所得税の対象外となっているため,これは実質的な手取り所得の額を示している。
 「行政国際ボランティア」は教育分野への派遣を含むが,このほかにも文化活動,経済,貿易,科学活動監視,コンピューター科学,行政,法律,経済,研究,医学,観光,外食産業などにも及び,2010年の統計によれば,10000人の若者が,「行政国際ボランティア」「企業国際ボランティア」の制度を活用して,国外に派遣された。
 ではどのようにして,このような多岐にわたる職種の国際ボランティアに応募できるのだろうか。志願者はまず国際ボランティアのサイトに必要情報を入力の上,パスワードを受け取り,サイトに公開されている公募情報を閲覧し,自分の希望に適した公募情報があれば,履歴書など必要情報をサイトの連絡アドレスに送付する。応募者の中から派遣先の条件に合う候補者がいた場合,外務省などの担当機関から連絡をうけ,面接をうけ,採用が決定する。応募者が派遣国の学校などと直接に連絡を取ることはなく,あくまでもパリの官庁が派遣者の決定を行う。
 そこで2012年8月現在公開されている公募情報から,また国際ボランティアとしてフランス語教育に関わっているフランス人の証言を元にフランス語教育に関連してどのような人材が求められているのかを検討したい。

「国際ボランティア」に見るフランス語教師
 この8月に国際ボランティアのサイトを参照したところ,フランス語教師については4件の公募が掲載されていた。エリトリアエチオピア,ガーナ,モーリシャスといずれもアフリカやインド洋に位置する国々のアリアンス・フランセーズなどのポストである。この中からエチオピアとガーナのケースを紹介し,国際ボランティアとしてどのような人材が求められているかを考えたい。
 エチオピアのアリアンス・フランセーズでは任期一年の教務部長1名を募集している。その職務は週に6時間のフランス語を教えることに加えて,3名の専任教員並びに20名の非常勤教員,および2名の秘書を統括することである。このポストに応募するにはこれまでに同種の職種での勤務経験が必要であり,さらに収益の改善のために営業活動が期待されることから,経営の知識が必要とされている。週末にはアリアンス・フランセーズの企画する文化活動に参加することも求められ,平日は20時までの授業時間を勤務時間とする。外国語としてのフランス語教育の修士号,およびできるならば経営学の素養が望ましく,英語の優れた能力が不可欠であると定めている。
 次にもう一つの公募案件を紹介したい。ガーナのクアメ・ンクルマ科学・技術大学の教育指導員のポストである。これは在ガーナフランス大使館文化活動協力部とガーナの大学当局との間に交わされた協力支援活動の一環として雇用される人材である。ガーナの大学教員に助言を行い,教員研修を実施することを任務とし,週に4時間の授業を担当し,フランス語科の教育支援を行い,さらに学内のフランス語サークルを指導する。必要な条件は英語力であり,外国語としてのフランス語,特定目的のためのフランス語,教員研修などの経験が望ましいとしている。またイベントなど実施のため,予算管理の経験者であることが望ましいとしている。
 次に国際ボランティアとして派遣された若者の声を紹介する。筆者は,札幌のアリアンス・フランセーズに派遣された国際ボランティアのACさんとインタビューする機会を得た。ACさんはこれまでフランスとアルゼンチンでフランス語教育の経験があるが,日本での滞在は初めてで,これは1年間の予定であった。国際ボランティアについては,大学での「外国語としてのフランス語」コースの中で情報を得て,応募した。日本ではアリアンス・フランセーズにおいてフランス語教育だけではなく,副館長の職務も兼ねており,教授能力に加えて,管理運営能力も求められるという。とはいえ,アリアンス・フランセーズはフランスの組織であるため,フランス社会の延長としてカルチャー・ショックを感じることは少ないという。国際ボランティアは教育のみならず,管理運営にも関わることから,札幌のような小規模のアリアンス・フランセーズにとっては,国際ボランティアの給与がフランス外務省の負担となっていることからも,不可欠の存在であるという。
 ACさんは,国際ボランティアは国が身分保障をしたうえで,国際社会での経験を与えることから優れた制度であると評価しているが,国の威信を自らが担っているという趣は感じられない。自分の職業能力を高める機会となったことを自覚し,この経験を元に近い将来にはアメリカかアルゼンチンでフランス語教育に従事したいとの希望を語っていた。

まとめ
 フランス政府の派遣するフランス語教師にはどのような特色があるだろうか。まず,「国際ボランティア」の制度において派遣国に関する事前研修が存在しない点に注目したい。多くのポストでは英語の能力とパソコンの技能を求めているが,任地国の言語文化に関する知識や経験を求めることはなく,任地国に関わる研修は行われない。派遣候補者に求められる研修とは,大学の修士課程での外国語としてのフランス語コースのみであり,これは「国際ボランティア」派遣のための研修ではないことから,派遣国の言語文化に関わる研修を含むことではない。
 なぜフランス政府は派遣国に関する事前研修を行わないのだろうか。経済的理由があげられることは言うまでもないが,それだけではないだろう。これには,国際社会の中でフランス語の占める地政学的理由もある。前述のように,国際ボランティアは協力員を継承した制度であり,そのいずれも脱植民地以降に,旧植民地との関連で生まれた制度である。フランスは旧植民地の独立にあたり,二国間協定を結び,その利益の保持をはかってきた。国際ボランティア制度が旧植民地との二国間協定の枠内で運用されているかぎりにおいては,フランスのパターナリズムは変わりようがなく,相手国の言語文化への関心は生まれることがない。このような環境の中では,現地の言語文化を知り,教育をそれに最適化するという発想は生まれにくかったといえよう。むしろ,相手国こそがフランスの言語文化を学ぶべきであり,そのためにフランスから若者が派遣されていると考えるのである。日本でフランス語を教える国際ボランティアもたまたま札幌のポストに応募したのであり,日本語や日本文化に関心があったためではない。
 さらに経済的要因も無視できない。学院やアリアンス・フランセーズなどは有為の人材を無償で活用することができるのであり,これには助成金以上の価値がある。もちろん当事者にとっても国の庇護の元に,たとえ給与は必ずしも高くはないにせよ,職業経験を積み重ねることの意義は無視できない。
 フランスの若者は「国際ボランティア」として経験を積んだのち,他国や他の機関においてよりよいポストに転ずることを夢見るのだろうか。

参考文献
BASDEVANT Jean (1984), « L'action du ministère des Affaires étarngères pour la diffusion de la langue française à l'étrangers de 1960 à fin 1968 », in, Daniel COSTE (cord.), Aspects d'une politique de diffusion du français langue étrangère depuis 1945, Paris : Hatier / Didier, 256 p.
ROCHE François, PIGNIAU Bernard (1995), Histoire de diplomatie culturelle des origines à 1995, Paris : La documentation Française, 295 p.
Volontariat Internationalサイトhttps://www.civiweb.com/FR/index.aspx