第五章(12-18)

 ヴィゴツキーは、本書の第五章において子どもの思考や概念の発達を論じているが、その後半部(一二〜一八)ではその第二段階以降の子どもの思考形式に焦点を当てている。概念形成へ至る思考発達の第二段階とは、「連合的複合」および「混同心性的形象」による思考であり、そこで用いられる子どもの言葉には、同一の言葉が異なる状況では異なる意味を持ち、しかも関連さえあれば矛盾した意味でも統合し得るという特質がある。

 またヴィゴツキーはこの時現れる融即(Participation)という現象にも目を向けている。これは子どもの思考だけでなく、「未開民族」や「精神分裂症患者」にも見られるような思考方法であり、本質的には複合的思考のメカニズムと全く同一のメカニズムが基礎になっている。この時の言葉は具体的事物の複合をあらわす手段であり、単に形式的な標示、諸存在の属するある一定の複合に共通の名称にすぎない。
 気をつけるべき点として、「子どもが言葉を使って行なう思考活動は、同じ言葉を使いながら大人の思考のなかで行なわれる操作とは一致しない」ということを、筆者は再三に渉り強調している。その理由として、子どもが言葉を使うのは感性的・連合的な結合に基づく名称を支持する機能としてであり、大人のように意味論的機能を持たせているのでないからだということが述べられている。

 ついで、子どもの思考発達の第三段階が第一水準・第二水準に分けて論じられている。ここで前者は「分節化・分析・抽象」、後者は「潜勢的概念」であるという風に理解できる。子どもが真の意味で概念を形成するためには、複合的思考では手に負えない作業、すなわち「全体を個々の要素に分節化する」作業が必要である。その上で抽象化された特徴が再び結合され、抽象的総合が思考の基本形式となり、それにより周囲の現実把握・意味づけがなされる時、はじめて真の概念が発生するのだと筆者は主張している。言葉は記号であり、それゆえにさまざまな方法で使うことができ、さまざまな知的操作の手段となるのであって、言葉を借りた知的操作こそが、複合と概念との間の基本的差異をもたらすということである。

 こうして、過渡的年齢において知性の三つの発展段階を経ることで、子どもは概念的思考に到達する。だがこの時、概念形成とそれの言葉による定義(概念の自覚)は一致せず、前者が後者よりはるかに早く現れることになる。結局、伝統的な心理学が描いてきたように、単に特殊を抽象化していくことで概念が成立するわけではなく、寧ろ、はじめに一般的な概念(未分化なもの)があり、そこからより低次・変種・分化したものへと移行しながら発達するのだと筆者は述べ、先行する研究を幾つか紹介している。その中でも、ビューラーの「概念形成には二つの発生的根源がある」というという説に対し筆者は概ね同意しているが、ビューラーは言葉の役割や、思考のさまざまな形式における差異を無視している点で誤りをおかしているとし、最終的に『真の意味での概念は、「混同心性的形象や結合から」「複合的思考から」「潜勢的概念から」「概念形成の手段としての言葉の使用を基礎として」発生する』という結論を導いている。(KT)