複言語主義と複言語社会  (2012.5.26 日本語教育学会パネル報告「移住者と受け入れ社会の共通言語と日本語教育」より)
                         

 この報告では,ヨーロッパの移民への言語教育政策について,フランスの事例を取り上げ,複言語・複文化主義の関連から論じたい。

 フランスはヨーロッパの中心に位置し,19世紀半ばから移民を受け入れ続けてきた移民大国であり,3世代をさかのぼれば国民の五人に一人が外国籍の家族を持つと言われている。イギリスなどの多文化主義とは対称的にフランスは同化主義を国是としている。同化主義については,これが他者の存在を否定し,多数派の論理を少数派に一方的に押しつけるとのイメージがあり,確かにフランスでも植民地主義の活性化していた時代にはフランス語教育を通じた言語同化主義が実践されていた。しかし,このような否定的側面の一方で,フランス同化主義には平等の追求という原理があることを忘れてはならない。

 フランス同化主義の特色の一つは,人間をいかなる差異に基づくものであれ,原則として差別することなく,平等に取り扱う点にある。移民統合政策において同化主義は移民の子どもに対してもフランス国籍の子どもに対する教育と同じ教育を実践するという形態で現れてきた。フランス領土内に居住する子どもについて,6才から16才の子どもであれば,国籍を問うことなく,平等な教育の実施を原則とし,この原則は現在にいたるまで変わっていない。しかし1970年代以降,このような同化主義に変化が認められるようになり,入門クラスなどといった,移民の子どもに向けたさまざまな支援教育が導入され,現在にいたっている。移民の子どもをフランス人の子どもと同一に扱うという原理に多少の揺らぎが見え始めたのである。

 この一方で,成人移民に対する言語教育は長い間にわたり実施されることはなかった。フランスは1960年代前半まで,アフリカを中心とする世界各地に植民地を領有しており,そこからの労働者の移入はフランス国内の労働力の移動と同じ論理において理解されており,言語教育という発想そのものも乏しかった。国民教育省は成人教育を管轄せず,所轄官庁が不在だったという行政上の欠陥に加えて,成人移民は低賃金労働者としてフランスに居住していたことからフランス語能力を求められることが少なかったのである。そのために国や地方自治体は成人移民への教育に関与することなく,民間のアソシアシヨン(非営利団体)が移民の言語権のために活動を続けてきた。ここでの言語権とは,移民がフランス語能力を獲得し,フランス社会に統合することを可能とすることを意味するもので,移民の母語の維持存続を図るものではなかった。多文化主義を国是とする社会で語られる言語権と,同化主義を原則とする社会で語られる言語権は必ずしも同一の意味内容を持たない。

 フランスは1974年以降,つまりオイルショック以降に単純労働者の移入を停止してきたが,単身労働者が家族を呼び寄せることを認めており,これによる移住が増大していく。そのために,フランス語圏の出身であってもフランス語能力を保持せぬ女性などが多く流入するようになったのである。そして1990年代からグローバル化の進展により,フランスはこれまで以上に世界各国から移民を受け入れるようになり,フランス語を理解しない移民は増加の傾向にある。
 このような傾向に対してフランス政府は1990年代から施策を講じ,それは2003年より導入されていった「受け入れ統合契約」として結実していった。これは,政府と移民の間で交わされる契約であり,フランス社会への統合を果たす上に必要な社会知識やフランス語能力を確保することを目的として,政府が移民へのフランス語研修などを無償で保障する一方で,移民はこの契約への署名を通じて共和国原理の遵守を表明するというものである。政府は移民のフランス語能力が不十分だと判断した場合,300時間までのフランス語研修を無償で提供する。この一方で,移民には研修の終了時に『ヨーロッパ言語共通参照枠』の共通参照レベルに従ったA1.1のレベルを確保することが求められ,そのレベルに対応した「フランス語入門免状」の取得が求められている。A1.1のレベルとは,A1の下位に位置づけられるレベルで,口頭能力でのサバイバルレベルと考えられている。

 さらに2011年には,移民の入国管理並びに統合政策を統括するようになった内務省が,新たなデクレ(省令)を発布し,そのなかで「統合のためのフランス語」が規定されている。この新たな移民統合政策は,これまで国内外の外国人向けフランス語教育に人材を養成してきたフランス国内の大学の「外国語としてのフランス語」科に,成人移民へのフランス語教育に特化した「統合のためのフランス語コース」をオプションとして設置するよう求めるものである。これまで成人移民へのフランス語教育はボランティアをはじめとして,「外国語としてのフランス語」科の修了生などが従事していたが,これ以降,成人移民へのフランス語教育を担当する語学センターは「統合のためのフランス語コース」の修了者を雇用しなければならない。またこの新たな措置と同時に,フランスへの帰化に際してのフランス語能力も新たに規定された。これまでは「フランス語を習得していること」などとの曖昧な規定であったが,これ以降は口頭表現において『ヨーロッパ言語共通参照枠』のB1レベルと規定された。

 「統合のためのフランス語コース」はデクレにより法的根拠を獲得したとはいえ,内務省は高等教育省との事前協議を行わずに,事実上,大学行政に介入したことから民主的手続きに瑕疵があるとの批判に加えて,「統合のためのフランス語」という概念そのものが言語教育学の観点からも疑義があるため,多くの大学人の反発を買い,フランス語教育学を二分する論争となっている。

 さらに帰化にあたり,口頭表現に限るとしながらも,B1レベルが提示されたことについてもその妥当性が懸念されている。

 受け入れ統合契約を通じてフランスに長期滞在する移民にはA1.1が求められ,帰化の希望者にはB1のレベルが求められることについて,これは言語能力レベルの基盤となっている『ヨーロッパ言語共通参照枠』の理念と乖離している。『ヨーロッパ言語共通参照枠』はヨーロッパ域内の市民や学生の移動を促進し,相互理解を促進する道具として設計されたものであり,移民管理の道具として構想されたものではない。ところがこれは移民統合政策において移民支援の道具というよりは,むしろ移民管理の道具となっている。

 また移民統合政策が今のところは,移民の出身言語を一切顧みないという現状をみると,これは,『ヨーロッパ言語共通参照枠』の訴える複言語・複文化主義の理念などに反する政策となっているようだ。フランスはこの矛盾,ないしは二律背反をどのように乗り越えるのだろうか。また『ヨーロッパ言語共通参照枠』に基づき『日本語スタンダード』を作成した日本は,多文化共生を唱える一方で,日本語による単一言語主義を進めているが,このような姿勢はフランスの統合政策に共通する問題点があるのではないか。


参考文献:
西山教行(2010)「共和国統合をめざす受入れ統合契約と移民へのフランス語教育の制度化について」『言語政策』第6号,pp. 1-17.
Vicher Anne (coordination) (2011) RÉFÉRENTIEL FLI FRANÇAIS LANGUE D’INTEGRATION http://www.interieur.gouv.fr/sections/a_la_une/toute_l_actualite/immigration/deplacement-cci-paris-prefecture-police-paris/downloadFile/attachedFile_1/FLI_LABEL_V20-1-1.pdf?nocache=1323450986.98