第六章 人を表すことば

第六章 人を表すことば

ある特定の言語社会で,どのような状況の下に,自分及び相手をどのような単語で呼ぶのかを実証的に研究することにより,言語社会学的な法則性を明らかにすることが可能である。例えば日本語の代名詞的用法や親族呼称から,日本の「目上」「目下」といった概念を理解することができる。また,話し手が自分を指して使う単語からは,日本語と西欧語の自己規定行為の違いを発見することができる。

西欧語では自己を能動的言語行為者として言語的に確認し,対話者を「その対立する対象としての受動的言語行為者」として言語的に把握する。一方日本語は特定の相手から自己を言語的に規定する。子供に同調させて,親が自分を称するという日本語の親族呼称などがよい例である。つまり日本語は,対象依存型の自己規定を行う言語なのだ。

日本人は相手の出方や意見を基にして,それと自分の考えをどう調和させるかという相手待ちの方式を得意とする。また,他人が意見や願望を言語で表現する前に,それを察知することは「気がきく」などという褒める対象になる。つまり対象への自己同化が日本人にとって美徳なのである。しかしこのような言語行動にもあらわれる日本的特性は,日本人でない相手と接するときには有効性を失う。自己を相手に投射し,相手に依存する日本人は,相手もまたこちらに同調してくれることを期待する。しかし自己主張をぶつけずに相手に自分を分かってもらうのは,日本人同士の場合だけである。これは日本が世界と交渉したり,国際会議などで議論したりする場合には,自己主張の弱さとしてマイナスの面になり,結果として遅れを取る原因になっている。(NH)