第5〜6章 

第5章はまず、「共調動作−synchrony」について論じている。他人と接しているとき人間は、一緒に動く(共調状態)か、そうでないかのどちらかである。一緒に動かないとは、周囲の人々と食い違っていることである。これらは無意識になされる。共調していること自体一つのコミュニケーションと言えるが、この共調動作の現象は汎人類的に見られ,生得的である。幼児は何語で話されていようと人間の声に対してシンクロナイズするが、成長するにつれて自分の話す言語や自分が属する文化に慣らされてゆく。人間はそれぞれの文化に固有のリズム、言語や身体の動きによって表現されるリズム体系によって結びつけられている。どんな集団も,本能的に自分たちの非言語コミュニケーション体系が普遍的だと思い込みがちである。それは無意識の行動に表れ,「人種差別」へとつながる要因にもなる。

バードウィステルは「身体動作(キネシクス)」を、人の動き方、体の操作の仕方と定義した。人間の身振り言語は文化によって異なり、それゆえに文化的背景を無視して解釈することはできない。新しい未知の状況では、その文化が自分の属する文化と違えば違うほど、正しい解釈をすることが難しくなる。

身体動作より深いレベルでおこるのが動作的共調で、これはコンテクスト度の高い文化においてひときわ目立つ。行動による言語は、自分の性、階級、世代、そして住んでいる地域など、人間の人格および社会そのものの中に織り込まれているため、人々が無意識に特定の意味を持たせる危険性がある。非言語的体系はまた民族性と深く結びついている。相手の言語的および非言語的な行為を正確に理解することが重要である。

第6章は、コンテクストと意味について述べている。
自分と外界との間の選択のスクリーンに対する認識度は、コンテクストの尺度に密接な関係がある。低いコンテクストから高いコンテクストに行くにつれて、選択の過程に対する意識も高まっていく。文化はその多くの形態において、人間が何に注目し,何を無視するかを指示する。コンテクストを抜いてしまうと、メッセージの一部しか構成していない言語コードは不完全である。コードとコンテクストと意味は、単一の現象の異なる側面である。

ここで高コンテクストとは、情報のほとんどが身体的コンテクストの中にあるか、または個人に内在されており、伝達される部分には情報が非常に少ない。反対に低コンテクストでは、情報の大半は明白にコード化されている。コンテクスト度はコミュニケーションの性質を決定し、またその後のあらゆる行為の基盤ともなる。一般的にコンテクスト度の高いコミュニケーションは、簡潔で時間がかからず、効果的で充足しているが、プログラミングに時間がかかる。しかし人々を結びつけ、結束させる作用があり、寿命が長くあまり変化しない。コンテクスト度の低いコミュニケーションは、結びつける作用がなく変化しやすい。物事が複雑になればなるほど、情報過剰に対処するためにも、最終的には生活や制度を方向転換させ、高コンテクストの持つ安定性を目指す必要がある。(RM)